星の見えない夜に、誰を救う。

CASE4 未来

 ヒュゥゥ……
「……」
 どんどん落下する幸人の身体。それでも耳に手を当て――
「……ここか!」
 ガシッ……!ガサガサガサ……!
「ふぅ……」
 33階の床が崩落し、次々とドミノ倒しのように天井を突き破っていく。だが彼は病院のベッドの手すりを掴み落下を阻止。ここは一体?

松之原タワー 18階 入院病棟 18:37
 難を逃れた彼であったが、床はまだ落ち続けていた。このビルはどれくらい耐えられる?
「入院病棟か……おい!誰かいないのか?」
 ゴクゴク……
 入院している患者が多いと厄介だ。それに火災旋風が巻き起こっている。それに――
「……」
 落ちた床に誰も巻き込まれていなければいいが……
 プルプル……ピッ……
「幸人……!無事か!?」
「18階まで落とされちまったようだ……」
「よく無事……ではないが、誰かいそうか?」
「今から探すとこだ。近くに将佑のお仲間はいないのか?」
「もちろん手配してある。レスキューポイントがわかったら、また連絡する」
 プツッ……
 14階から18階までは入院病棟。しかし――
「……?誰もいないのか」
 医療器具は充実しているのだが、どの部屋を見ても患者の姿が見当たらない。既に逃げたのか、それともまだ機能していないのか。
「ゴホ……!」
 アルコール消毒液や繊維でできた包帯が引火して燃え広がるのが早い。赤い炎が黒煙に変わっていく。ここで頭痛が起きていないのが幸いだ。覚えているのは、本来なら死んでもおかしくない状況で危機を脱したこと。そんなことはどうでもいい。
 ガサガサ……
「……?誰かいるのか?」
 バチバチと鳴り響く炎の中でも音を逃さない。
「痛い……!」
「おい大丈夫か!?あんたたち……」
「ちょっと手伝ってくれませんか!」
 要救助者は3人。確か結婚式に参列していた人たちだ。だが重い棚が崩れ落ちて女性が下敷きになっている!男性2人でも難しく、このままじゃ燃え盛る炎に侵食されてしまう。
「俺が持ち上げるから、その隙に引っ張ってくれ!」
「はい!」
「わかりました!」
 グイッ!
「引っ張れ!」
「は……はい……!(持ち上げた……)」
 骨折はしていないが捻挫している。
「歩けそうか?」
「何とか……それより、夫が……」
「夫、あんたのことか?」
「はい……実は私、糖尿病で……インスリンを探して妻と先生の3人でここに来たんですが……」
 糖尿病を患っている男性は英介が勤める会社の上司、高木 賢治(タカギ ケンジ)(44)。妻の穂波(ホナミ)(42)。あと賢治の主治医である垣内 明(カキウチ アキラ)(51)。
「結婚式のときに持ち歩かなかったのか?」
「持っていたんですが切らして……」
「それでここにあるかもしれないと思って探したってわけか――」
「うぅ……」
 賢治は数時間インスリン注射していないことにより意識が薄れているように見える。顔色が真っ青を通り越して土気色になっている。
「み……水……」
 賢治の口は乾ききっていて肌もカサカサ。自力で歩けそうにない。それだと消防の連中と合流する前に最悪の事態も想定される。
「今の状態で付いてこられたら迷惑極まりない……俺が取りに行く。ところでお医者さん、インスリンがありそうな場所はどこだ?」
 相手は親友の上司にも関わらず上から目線。妻の穂波は今にも何か言いたそうに口をパクパクさせる。それ以上に彼女は幸人の目に起きている異常が気になって仕方がなかった。主治医の垣内も言いたそうだったが、いざ助けてくれるかもしれない人に対して指摘ができなかった。
「12階の……総合病院にあるはずです……」
「12階だな?」
 スッ……
 彼は片膝をついて賢治の肩に手を置き――
「英介の上司さんだったか?上司たる人なら自己管理しておけ」
「ちょっと……!(あんただって酒飲みまくってただろ!?)」
「すぐ戻る……」
 彼は立ち上がって3人のもとから去ると――
「……」
「あの人の目ヤバくないですか……?確か英介さんの親友みたいですけど、ゾンビじゃないですよね……?」
「充血したくらいではこうはなりません……右目だけってのもおかしいです」
「でも何なんですかあの上から目線……!?最近の刑事さんは嫌味言うのが仕事なんですか!?」
 2人が見ていた彼の姿というのは、右目のみがゾンビのように真っ赤に染まっている光景だった。彼に救助された阿部銀河が指摘したのも、それが原因だったのか?だが将佑には指摘されなかった。時間差で違うのか?それとも言わなかっただけなのか――

 崩落した床のおかげで階段を使わなくても一気に降りられる。だが総合病院は12階に対して現在位置は18階と、6階も下。24m前後だ。まさか降りるつもりなのか!?ここであれを使うのはもったいない。
「……」
 グルグル……
 ベッドのシーツを数枚取って束ね、主柱に結びつけてロープ代わりにすると――
「フッ……!」
 そのままシーツを伝って12階まで降りるが――
 ギィィン……!
「ウゥッ……!?」
 伝っている状況なのに頭痛に襲われる。痛みのあまり手を離しそうになる……さっきは使っていなかったはずなのに。
「フゥ……ハッ……!」
 手を離す前に決死のダイブ。
 ドサッ……!
「クソ……!中々キツいなこれも……」

松之原タワー 12階 総合病院 18:55
 頭痛程度ならもう慣れた……どうして母さんは俺に付きまとうのか?母さんのことは大好きだったが、実の母にストーカーされるのはさすがに趣味ではない。
「ここで合ってるよな……?」
 メモ帳には『インスリンを探しに行く。12階にありそう。英介の上司が糖尿病――』。
「ここだな……」
 総合病院だけあって内科や整形外科、小児科などが並んでいる。精神科もだ。糖尿病の治療はどこの科に該当するのだろうか?腕時計を確認すると――
「時間がない……」
 覚えている限りだが、賢治には一刻も早くインスリン注射が必要な顔色だった。それにこの炎、もたもたしていたら燃えてしまう。仕方ないか……!
 スッ……

 ――ドガァァン……!バチバチ……
 インスリン注射がある場所は、糖尿病専用内科……燃え盛る炎……20秒後には薬ごと燃やし尽くす――

「ハッ……!」
 見えた瞬間すぐ目を見開き、そのまま走火をすり抜けるように走り出す!
 バチバチ……ドガァァン……!
 廊下を走る道中で彼の前方からドアが吹き飛ぶ!
「ハァ……!」
 タタッ……!ダン……!
 何と壁をパルクールのように走って回避。断片的ではあるが、彼はこれから起こりうる災害を先読みしていた。
「間に合え……!」
 彼は頭痛を完全に無視して突っ走る。ここか!
「よし!これだな……」
 インスリンは2本ある。これだけあればとりあえずは安心か。彼は来た道へ戻ると、幸いにもシーツはつながったまま。だが上はどうなっているかわからない。シーツが燃えてしまったらブチッ!といって落下してしまうだろう。
「俺ならいけるか……母さん?……フン、そうか……」
 グイグイ……
 強度は十分。彼は持ち前の筋力で18階まで駆け上がる。
「ここで来るなよ……」
 ランダムに訪れる頭痛が怖すぎる。それに自分の目的を忘れてしまわないのかも怖い。彼は薄々と感じ始めてきた。今の自分は母親に呪われているのだと――
「ゴホ……」
 吐いた血がシーツを赤く染める。
『あなたはもう逃げなきゃダメ……!これ以上自分を傷つけないで……!』
「黙れ……!俺は決めたんだ……」
 耳元に母親の声が聴こえてくる。話しかけるくらいなら俺にまたハンバーグを作ってくれ!いくら幻覚でもそうは言えなかった。
 ガシッ……!

松之原タワー 18階 入院病棟 19:13
「待ってろ……助けてやるからな!ゴフッ……!」
 ポタポタ……
 今日まで吐血するには至らなかった。使いすぎてダメージが大きくなっているのか、それとも母親が必死に自分を止めようと副作用を重くしているのか――
「邪魔すんじゃねえ……!」
 彼の精神力と耐久力は常人を遥かに凌駕する。
 ゴクゴク……ゴク!
「ふぅ……!」
 酒に溺れたのは母さんのせいだろうが……!どれだけ怒りをぶつけても靡かない、殴りかかっても当たらない。ただ聴こえてくるのは――
『何で悪い子になっちゃったの……?』
「全部母さんのせいだ……母さんのせいだ……!」
 彼は大声でそう叫ぶと、3人が待つ部屋まで走り出した。
 ボォォ……!
「無事か!?」
「奥田さん……!」
「はぁ……」
「これで合ってるよな?イ……あれ何だ?」
 やはり直近の目的を忘れている。もう忘れることには慣れてしまっている。
「助かります……!高木さん!今打ちますね……」
 プスッ……
「しばらくすれば落ち着くでしょう……本当にありがとうございました!」
「主人が本当に助かりました!本当に……どうしました?泣いてます……?」
 彼の両目から涙が出ているようだ。
「うるさい……」
 穂波はハンカチを出すと彼の目を拭いた。
「何のマネだ?ここで傷を舐め合っている暇はねえぞ……」
「私たちには息子がいるからわかります……男の子は強がったときに涙が出てしまうんですよ」
「誰が男の子だ!?俺はもう29だ!何バカにしてんだよ……!?」
「すみません……本当ごめんなさい……!」
「ちょっと言い過ぎですよ……!」
 穂波は彼の圧に驚いてビクッとなり、そのまま泣いてしまう。だが彼もさすがに言い過ぎたと思ったのか――
「あぁ……すまなかった……ごめん」
 彼はさり気なく穂波の背中を擦った。背中の温かさが、母親という器の大きさを物語る。息子……親がいることが本当に羨ましい。すると――
「なあ、息子さんって、ハンバーグ好きか?」
「ハンバーグですか?はい、大好きだし夕飯がハンバーグだとすごく喜びますよ?」
「そうか……」
「奥田さんも好きですか?」
「俺は嫌いだ……」
 サッ……
「おい……」
「はい?」
「立てるか……?」
「はい……何とか」
「あんたたちを安全なところまで誘導する。ついてきてくれ」
 将佑から連絡は来ていない。とりあえずどこかに消防の連中がいるはずだ。賢治は何とか動けるな……
「どこへ行くんですか?」
「貨物用エレベーターを使えば一気に移動できる」
 将佑とはぐれてしまった場所は33階の多目的ホール。あいつのことだ。どこか別の階へ行って救出活動に奮闘しているだろう。彼は窓を軽く開けると――
 スッ……
「俺の場合来た道を戻るが、12階に梯子車が待機しているようだ。12階を目指すぜ」
「耳に手を当てたのって何ですか?」
 ゴクゴク……
「って何飲んでんですか!?」
「ブランデー。頭痛くならずに済む……なあ、お医者さん!」
「はい!」
「賢治さんに肩を貸してやってくれ。貨物用エレベーターで下へ降りるぞ!」
 彼の真後ろに穂波、その後ろに賢治と垣内という形で誘導する。だが部屋を出た瞬間――!
 ドガァァン……!
「うわぁ!?」
 18階に爆弾が仕掛けられていたのか?爆発と同時に大きいコンクリートの破片が壁をぶち破り、炎を纏って飛んでくる。
「ハッ……!」
 バチッ……!
 彼は弾丸のように飛んできたコンクリートを蹴り飛ばした!彼は真っ赤に充血した右目を向け――
「急ぐぞ……」
 もはや彼の姿はゾンビではなく、一人の『救世主』のように映っていた。
 ブシュゥゥ……!シュウウッ!
 消火器の威力では完全鎮火には至らないが、ある程度の気休めにはなる。このまま一気に――

松之原タワー 12階 総合病院 19:20
「はぁ……喉が渇いた……」
「あと少しだ!頑張れ……!」
「高木さん……!」
 口と鼻を押さえながら渡り廊下を突っ走る。だが、ある一室の傍に近づいた瞬間――
 バチバチ……バチバチ……!
「待て止まれ……!」
 スッ……
「……ハッ!」
 ヒュー……ドガァァン……!
 突然大爆発と同時に床に穴が空き、穴からすさまじい火災旋風がグルグルと巻き上がる!
「チィ……!?高木!?垣内!?」
 彼以外の3人は床に突っ伏して倒れ込んでいる!
「クソ……!消すしかねえな!」
 ガシッ……!
 近くにあったホースを掴むと、火災旋風に向ける。どうやら高温によるダメージだ。消さない限り動けないだろう。
 シュー……
 やはり簡単には消えない……アルコール消毒液などを巻き込んで火の勢いを強めている!彼は刑事とはいえ消防士ほどの握力はない。前腕が徐々にパンパンになる。
「フゥゥ……!」
 シュー……!シュバァァ……!
「消えてきた!フゥゥ……!」
 シュー……!シュバァァ……!
 火災旋風完全消火
「おい大丈夫か!?起きろ穂波……!」
「うぅ……奥田さん……」
「穂波……」
「下の名前で呼んだんですね……嬉しい……」
「……黙れもう」
 ドガァァン……!
「危ない!」
「キャッ……!?」
 彼は穂波を庇うように身体を抱えながら飛び火を回避。すると――
 ドサッ……チュ……
「あっ……」
 穂波が彼に乗りかかるような体勢になり、唇が一瞬だけ重なった。2人は数秒だけ見つめ合った。
「重い……」
「ちょっと……!失礼ね本当に……」
 穂波は少し嬉しそうだが、デリカシーのない発言に一瞬で冷めた。すると賢治と垣内も体力を取り戻したのか起き上がり――
「でも、ありがとう……」
「えっ……?」
 事故とはいえ、一瞬だけキスをした。そのことに対して彼にも嬉しい気持ちすら生まれた。
「柔らかかったよ……」
 スッ……
「さあ行こう……」
「はい!あなた……」
「助かりました……」
「気を抜くな!行くぞ」
 彼は再びホースを持って目の前の炎を消し進む。それでもまだ母親の声が聴こえる。全て逃げるよう説得するような言葉だけ……だが無視し続けることは、さらなる『呪い』を加速させることを意味していた。
「奥田さん……!?」
 彼は必死になっているのか一切振り向かない。まさか気づいているのか?彼の身体に起きている異変は悪化を辿る……
「ウゥ……」
 やはり苦しそうにしている。彼の能力の代償として失われるものの一つが『記憶』。だが母は、記憶の代わりに『別の』代償を与えたのだった。だからといって記憶がノーダメージというわけではない。そして彼のみが持つとんでもない特殊能力とは、『未来察知』という――
「穂波……わざわざ俺のことを気にするな……言われなくてもわかっている」
「……」
 彼の顔にはゾンビのようにドス黒い血管が浮き出はじめ、それが全身に表れている。とても人間ではない見た目になっていた。蝕まれる身体を必死で動かした先には――
 ウーウー……!
「梯子車だ!おい!この人たちを頼む!一人は糖尿病患者、すぐ病院に連れて行ってくれ」
「わかりました……!ではこちら――ウッ……!?」
 救助隊が思わず絶句する。それでも冷静を保ちながら――
「こちらから乗ってください!」
「ありがとうございます……刑事さん……!英介にあなたみたいな親友がいるなんて、羨ましいです……」
「無駄口はいい……早く病院行って診てもらえ」
 賢治、垣内と順番に梯子車によって救助されていく。最後に残ったのは穂波だが――
「どうした、何で避難しないんだ?」
「いや、ちょっと忘れものしちゃって……」
「忘れもの?」
 忘れものなら取りに行くことはできない。一体何を忘れたのだろうか?
「ちょっとかがんで……」
「……?これでいいのか?」
 穂波に言われるがままかがむと――
 チュッ……
 忘れものはまさか唇へのキスか?
「これ皆には内緒ね?」
 その言葉に対し彼は――
「覚えているかわからないけど、わかったよ……」
 穂波は少し悲しそうな表情のまま救助隊と共に梯子車で降りていくのだった。

高木賢治(44) 救助
高木穂波(42) 救助
垣内明(51) 救助

・高木賢治、高木穂波、垣内明の救出により現在タワーにいる人物は確認済みで、残り13人。
・12月24日 19:25 タワー崩壊まで4時間35分
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