未完の恋、指先で溶かして
 翌朝、彼女は昨日とは打って変わって、清々しい表情で再びストプラのオフィスに現れた。

 入口でこちらの様子を窺っている彼女に気付き、俺は自然と笑みがこぼれ、その元へと歩み寄る。


「おはよ。もしかして、手応えあり?」

「はい。率直な意見を伺ってもいいですか?」

「いいよ。会議室行こうか」


 短いやり取りを交わし、並んで廊下を歩く。


「今回は、何案くらい出してきたの?」

「…実は、一つだけに絞りました」

「え、一つ?  大丈夫?  いつも会議の壁打ちであんなに苦しそうに案を出してるのに」

「はい。これがいいんだ、と心から思えるものを持ってきました」


 その言葉を聞いた瞬間、確信に近い予感が胸を掠めた。彼女の瞳にも声にも、昨日のような揺らぎはない。これで駄目なら仕方ないと、どこか達観したような、潔さすらあった。

 こういう時の森山は、決まっていい仕事をする。


 「そっか。楽しみ」


 そう言い残して会議室の扉を開け、彼女を先に中へ入れる。ドアの札を使用中に返し、静かに扉を閉めた。対面に座ると同時に、森山が一枚の資料を差し出す。

 そこに記されていたのは、『凛と、甘く。私のための、ノアール』という言葉だった。

 シンプルで、スッと心に染み込んでくるようなその響きに、彼女らしいと思った。飾らない言葉が持つ力を信じ切った、一点の曇りもないコピー。これなら、会議を通すことに何の異論もない。

 ふと、資料を持つ彼女の手に視線が落ちた。何度も何度も、納得のいくまで言葉を書き記したのだろう。中指の付け根に赤く滲むペンだこが見えた。その泥臭い努力の跡が、愛おしくて、誇らしくて、俺は思わず、ふっと笑みを零していた。
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