アンコールは君だけに ~孤高のピアニストと秘密の契約婚~
「……条件に、異論はありません」

 声は、思っていたよりも落ち着いていた。
 彼の視線が、わずかに鋭くなる。
 試されているような気がして、背筋が伸びた。

「なぜ、この条件を受ける」

 奏からの不意の問いに、心臓が跳ねた。
 真正面から絡む視線を躱すことは許されない。
 ほんの一瞬だけ迷って、紬希は答えた。逃げ場がない。

「……必要だからです」

 だからといって、本当の理由をすべて話す必要はない。弟のことも、借金のことも、もう後がないことも……。
 すべてがこの契約に含まれているわけではないのだから。

 ――なのに、どうして。

 紬希の答えを耳にしたはずなのに、彼の視線は未だ外れずにいた。
 見られているだけなのに、呼吸が浅くなる。
 離れているはずなのに、妙に近く感じる距離感に覚える既視感(デジャ・ヴ)
 あの夜、暗いホールで向き合ったときと同じ感覚が、紬希を惑わせる。
 ……やがて、彼がわずかに眉を寄せた。
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