アンコールは君だけに ~孤高のピアニストと秘密の契約婚~

   * * *


 ホテルで朝食を終えた奏は、食後のウインナーコーヒーを味わっていた紬希がカップをソーサーに置いたのを確かめてから、「出かけるぞ」と言った。

「観光、ですか?」
「昨日そう言った」
「……はい、言いましたね」

 朝食の余韻を味わう暇もなく、紬希は慌てて支度をして、奏の後に続く。ホテルを出るとすでに多くの観光客が散策を開始していた。
 天気は晴れ。紬希はリゾートワンピースに麦わら帽子、奏は半そでシャツにチノパンにサンダルというラフな格好だ。仕事をしているときはかっちりした格好しかしないので、こんな風にふたりで出歩くのは初めてだ。
 旧軽井沢の石畳を二人で歩くと、涼しい風が緑の香りをまとってやって来る。爽やかな風が気持ちよくて紬希は何度も鼻を鳴らしていた。奏はそれを面白そうに見つめている。
 七月の軽井沢は、緑が深く、空気が澄んでいた。東京の蒸し暑さにうんざりしていた紬希は、生き生きした表情で奏に話しかける。

「奏さん、軽井沢には子供の頃から来ているんですか」
「別荘がある」
「毎年来ていたんですか」
「主に夏だな。ピアノの練習をするのに気候が良い」
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