アンコールは君だけに ~孤高のピアニストと秘密の契約婚~
* * *
ホテルを出て、送っていくという伊織の誘いを断り、紬希は歩くことにした。
あてもなく、ただひとりで歩く。
伊織の言葉が、あたまの中で繰り返されている。
『あなたが身を引くことで解決する問題もある』
――スポンサー側の要求で契約婚の話は来た。けれど、わたしが契約外のことをしてしまったから……こんなことに。
軽井沢でのひとときは夢のようだった。あのときだけでいいからと契約外のことを望んだのは自分だ。
奏は悪くない。責められるのは紬希の方だ。契約を破った。それが外部に知られてしまった。彼は火消しで忙しい。
――だけど、誰がわたしたちのプライベートを売ったの?
紬希の足が、止まる。それと同時に記憶が蘇る。
財団のパーティーの夜。あのとき形式上のパートナー、妻として紬希は奏から業界関係者に紹介されている。そのなかでも多賀宮家の体面を守るため一年間の契約を知る者は限られていたはずだ。伊織のような例外がほかにいるというのだろうか。伊織が今になって情報を売ったとも考えられない。だとすると――……。