アンコールは君だけに ~孤高のピアニストと秘密の契約婚~
 誰も頼んでいないのに。自然と、妻としての役割を果たしていたのだと、今になって痛感する。

 ――俺が、気づかなかっただけか。

 奏は、紬希の部屋の前で立ち止まる。結局、屋敷で寝室をひとつにすることはなかった。軽井沢での一夜は契約外の出来事として、お互い蒸し返すこともしていない。もし、戻ってからも奏が彼女の部屋を訪れて一緒に寝たいと希ったら、彼女は受け入れてくれただろうか。
 扉を開ける気にはなれなかったが、何もないことを確認するだけだと、奏はそっと扉をひらく。
 部屋は、きれいに片付いていた。
 紬希らしい几帳面さで、使っていた痕跡すら残さないように整えてある。
 ベッドのシーツも新しく取り替えられている。
 机の上には何もない。
 窓際に置いてあった小さな鉢植えだけが、そのまま残されていた。

 ――これは、忘れていったのか。
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