アンコールは君だけに ~孤高のピアニストと秘密の契約婚~
 どこにも向かっていない音が、誰にも届かない音が、会場内で亡霊のように留まっている。
 弾き終わって、スタッフの反応を確認する。彼らも沈黙していた。まるで葬式のように。
 マネージャーが、困った顔で口を開く。

「……先生、少し、休まれますか」
「必要ない」
「ですが」
「もう一度」

 奏は、また鍵盤に向かうが、二度目も同じだった。
 ロンドンの楽屋で手紙を読んだあの夜から、生きた音が戻ってこない。

 ――なぜだ?

 わかっている。わかっているのに、認めたくない。
 あの音の温かさを作っていたのが何だったのか。
 帰宅を急がせていたのが何だったのか。
 「ただいま」と言いたかった理由が何だったのか。
 すべて、理解していた。

 それなのに……。

 ――遅すぎたんだ。

 その言葉が、頭の中で繰り返されている。
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