アンコールは君だけに ~孤高のピアニストと秘密の契約婚~
   * * *


 彼女が部屋に入ってきた瞬間、空気が変わった気がした。

 ――いや、違う。

 変わったのは、自分の感覚だ。奏の視線が、ひとりの人物に吸い寄せられる。
 淡い色の服を着た素朴な女性。
 ひとつに束ねた焦げ茶色の髪は艶やかで、控えめな姿勢でありながら凛とした空気を醸し出している。
 緊張しているのだろう、膝の上で指先をわずかに握りしめている。
 どこにでもいそうな、目立たない存在……のはずなのに。

 ――彼女……どこかで。

 記憶の奥が、かすかにざわつく。
 彼女が顔を上げて奏を見つめる。
 その瞬間、息が止まった。
 夜空に煌めくかのように印象的だった琥珀色した瞳。
 あの夜、拾い忘れた音を一緒に耳に留めてくれた彼女に、雰囲気が似ている。
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