アンコールは君だけに ~孤高のピアニストと秘密の契約婚~
――まさか。
だが、確信には至らない。記憶は曖昧で、名前も知らない。似ているというだけで、決めつけるわけにはいかない。
それでも、奏は視線が外せずにいた。
沈黙に耐えかねたのか、彼女が小さく頭を下げる。
「水瀬紬希と申します。本日は、お時間をいただきありがとうございます」
その声で、確信が揺らぐ。
あのときの、あの静かな響き。
喧騒の中でも埋もれない、澄んだ声音――あのときと、同じ。
――いや、偶然だ。
慌てて奏は切り捨てる。その場に生まれた感情に意味はない。
必要なのは、自分がいま陥っている窮地から逃げ出すための条件を満たすかどうか、それだけである。
紬希は無言で会釈をした後、ゆっくりとソファに腰かけた。
奏もソファに腰を下ろし、書類をテーブルに置く。