アンコールは君だけに ~孤高のピアニストと秘密の契約婚~
「昔のあなたなら、誰かのために音が変わるなんてことはなかった。それがあの子と出会ってから……スタッフみんな気づいてたわよ」
「……余計なことを言うな」
「余計なことじゃないわ」
伊織は立ち上がり、レシートを持つ。「今日はあたしのおごりよ」と何食わぬ顔をして奏に追い打ちをかける。
「ね。追いかけないの?」
奏は答えない。電池の切れたロボットのようになってしまった彼を見て、はぁ、と伊織はため息をつく。
「……まあ、いいわ。でも奏くん」
去り際に、伊織が振り返って伝える。
「あたしが彼女に圧をかけたこと、謝っておいて。きっとあの子、あなたのことが好きだから余計に傷ついたんじゃないかしら」
それだけ言って満足したのか、伊織は歩き出した。
彼女の姿が消えた後も奏は店内に残りカフェの窓の外を見ていた。
十一月の街に、イルミネーションが灯り始めている。
――見せてやれなかった。
その言葉が、また胸に刺さった。