アンコールは君だけに ~孤高のピアニストと秘密の契約婚~

 拍手の中、本日の主役である奏が舞台に現れた。今日はネイビーの燕尾服を着ている。そういえば一年前も同じような色のフォーマルスーツを着て舞台に立っていた気がする。わざとだろうか。
 彼は一礼して、何食わぬ顔でピアノの前に座った。
 その横顔を、紬希は客席から凝視する。

 ――こうしてみると……いつもと違う角度ね。

 舞台袖から見た横顔とも、去年の夜に見た遠い舞台とも違う。
 正面の客席から見た奏は人間らしかった。
 演奏が始まり、彼が紡ぐ音が、ホールに満ちていく。彼が生み出す“生きた”音が、喜怒哀楽のように感情を、感動とともに迸らせていく。
 紬希は、その音に包まれながら思う。

 ――わたしはずっと、この音が好きだった。

 評価でも分析でもなく、ただこの音が好きだと思っていた。
 あの夜から、ずっと。
 そして彼のことも、いつしか好きになっていた。
 契約結婚だからと諦めて一度は逃げ出した恋だけど。紬希は彼から逃れることができなかった。ずっと、共鳴していたから。
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