アンコールは君だけに ~孤高のピアニストと秘密の契約婚~
――感情は不要。そう、決めたが。
「……以前、どこかで会ったことはあるか」
思いがけず自分でも理解できない問いが、口から飛び出していた。
紬希は、わずかに目を見開く。彼女は逡巡した後、首を横に振った。
「いいえ。初めてです」
潔い否定を前に、奏はなぜかがっかりしている自分に気づいてしまった。
――やはり気のせい、か。
そう結論づけたものの、拭いきれない違和感が胸の片隅に残っている。
奏はぶんと首を振って、書類を差し出した。
「ならば問題ない。契約成立だ」
紬希は、それを両手で受け取った。
ペンを握る指先が、かすかに震えている。
奏は見ないふりをしようとしたが、気づいたときには立ち上がっていた。