アンコールは君だけに ~孤高のピアニストと秘密の契約婚~
   * * *


 その夜、紬希はなかなか眠れずにいた。
 ベッドは柔らかすぎるくらいスプリングが効いており、掛布と毛布は太陽にあてられたかのようにふかふか、シーツは滑らかで上質な肌ざわりだった。枕は高さが選べて、どれを選べばよいのかわからなくて逆に落ち着かない。
 紬希は天井を見つめながら、今日一日のことを思い返す。使用人たちの出迎え。ドレスルームの眩しさ。夕食の沈黙。そして「期待するな」という、彼の警告じみたヒトコト。

 ――期待なんか、していない。

 最初から契約ありきの結婚だ。紬希が文句を言う筋合いもない。一年間彼の”妻”として過ごす、それだけの関係なのだ。
 考えたところで無意味だと諦めて目を閉じる。だが、眠れない。
 どのくらい経っただろう。
 ふと、遠くから音が聞こえてきた。

 ――この音は……ドビュッシー?
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