アンコールは君だけに ~孤高のピアニストと秘密の契約婚~
「東京です」
「ご実家は?」
紬希の指先が、わずかに強ばる。
ここで家の事情を明かすわけにはいかない。かといって、嘘をつくのも……。
「紬希」
不意に、奏の声がかかる。
奏の手が、自然な動作で紬希の腰にふれた。
引き寄せられるその距離が近い。
「理事の方々にご挨拶をしたい。少しいいか」
そのまま伊織に向かって、短く「失礼する」と告げる。
彼の言葉は穏やかだったが、会話を終わらせる意思が明確だった。
紬希も「失礼します」と会釈して、奏に従う。伊織がそれを見てどこか面白そうな顔をしているように見えたが、たぶん気のせいだろう。余裕ある表情で「こんど一緒にお茶でもしましょうね」と紬希に手を振っている。社交辞令だと思いたいが、この様子だと近いうちにお茶に誘われるかもしれない……とはいえ。