アンコールは君だけに ~孤高のピアニストと秘密の契約婚~

 ――この、ひと。

 息を呑む。
 そこにいたのは、間違いなくあの人――多賀宮奏そのひとだった。
 あの夜、舞台の上で、音を"生き物"みたいに扱っていた人。
 最後の一音が消えたあとも、紬希の胸の中でずっと鳴り続けていたあの音を生み出した持ち主だ。

 ――どうして……?

 思考が追いつかない。持ち出された“契約”には、相手の職業も名前も記されていなかった。ただ、スポンサーの外圧を退けるためとある芸術家のお飾りの妻になりさえすれば、条件通りの報酬を出すと言われただけ。年老いた気難しい芸術家の妻になるのだろうと諦観していただけに、紬希は自分の目の前に現れた世界的ピアニストを見て信じられないと瞳を瞬かせた。
 だが、彼は何事もなかったかのようにこちらを見ている。

 ――気づいていない?
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