天使か悪魔かそれとも魔女か~負の魂集う墓標のラビリンス~
第一章 猛る巨人
出会いと旅立ち 瘴気もやる 前編
夜の狩人が目を開ける。
獲物を狩るにはまだ早い時間。
寝ぼけ眼でうろを出て、高い木の上にとまった。
「おーい──どこー? どこにいるのー?」
誰かを呼ぶ声が辺りに響いており、夕闇に光る丸い目を、その声のする方へと向ける。
小さな女の子が映る。
スカートを大きくはためかせ、森の奥へと駆けていた。
「もう、どこまで行ったんだよ」
愚痴るその子の顔には、焦りが浮く。
一緒に遊んでいた男の子二人を探していた。
もうすぐ日没だというのに、姿を見せない。
暗くなれば、森から出るのは困難となり、一晩中彷徨うことにもなるだろう。
自身もそうなる可能性があり、すると大目玉を食らう可能性も大だ。
「おーい、レトリー! 奥まで行ったらあぶないぞーっ!」
ただ、その心配は杞憂に終わる。
後ろから、その片割れの声が飛んできた。
知らぬ間に追い越してしまっていたことに気が付くと、女の子は振り返る。
その際、傍にいた大きなフクロウを目にすることになり、驚いて一度目をそちらへ戻す。
すぐに飛んでいなくなったが、いた所の地面に目が留まる。
何か落ちている。
一見は、小さな黒い卵。
しかし妙に光沢があり、宝石のようにも見えなくもない。
なんだろう?と思い、そこまで行って、拾い上げた。
「うそ、ほんとに宝石だよ、これ。綺麗────」
それが出会いであり、これをきっかけに彼女の運命は大きく変わることになる。
戦いの日々に身を投じることになり、やがては世界の命運を握るところまで羽ばたいていくことになるのだが……、
そう仕向けた相手は、いったい誰か。偶然などではない。
────やっと見つけた。私の器────
人知れず笑うその者は、天使か悪魔かそれとも魔女か。
────────────────────────◆
────────────────────────◇
追いかけてくるように昇る月が、夜に浮く前に戻ることができた。
その時間は、灯火と、遠くからしてくる獣の声と、虫の音に包まれるような小さな町だ。
都会のような喧騒はない。のだが、今日は別と騒ぐ場所がある。
「はい、みんなちゅうもーく! わたしは今日、森ですごいお宝を発見しました!」
町はずれにある教会の隣、孤児院の中。
手の上に乗る宝石のように綺麗な石を見て、わあきゃあと子供達の声が上がる。
「いったいどうしたと言うのです」
奥にあるキッチンから老齢のシスターが顔を見せた。
「あ、シスター!」
「シスターだ!」
「シスターみてみて!」
ここで暮らす子達にとっては、母も同然の存在だ。
一斉に集い、それを見せに行った。
「レトリが宝石拾った!」
「これだよ、これ。森に落ちてたって!」
レトリの手の上に乗るそれ、その石を一目見た彼女の顔には、動揺といつにない険しさが浮く。
「それは──、核」
「かく?」
拾った当人も戸惑いを見せており、気まずそうに尋ねていた。
「もしかして、拾ったらまずいものだった? でも綺麗で」
「どうしてあの森に。誰かが──いえ、そんなはずは」
その時突然、その石が淡い光を放つ。
「うわ、光ったよ!」
皆、驚いた顔をしていたが、シスターだけがその後にただ一人、神妙な面持ちを見せる。
(これはもしや、神のお導きなのやもしれませんね──)
心の中で、人知れずもれたその言葉の真意は、あくる日、明かされる。
☾→☼
シスターは、朝早くにレトリを外に連れ出し、拾ったと聞いた場所まで足を運ぶ。
子供の足でもいける距離だ。
大きな危険も特になく、中に入っても異変は何も感じない。
木の葉のざわめきに包まれ、時折、鳥が鳴く。
「はぁ、きれーい……」
レトリの視線は、ずっと手元。
あの石に見惚れていたのだが。
「レトリ、いけませんよ」
「え、なにが?」
そう言われて、目をそちらへやる。
「それは魅入られて良いものでもないのです。その秘めたる力にのまれてしまうことになる。裏を返せば、それだけあなたが気に入られている証にも思えますが。やはり、昨日のあれは──」
「昨日のあれって? なんか昨日からシスター変だよ?」
「そんなふうにもなりましょうよ。いいですか、昨日あなたの手の上でその石が光ったことを言っているのです。資格ありと示したのだと、私の目には見えました」
「しかくあり?」
「そうです。わたしもこの目で見るのは初めてでしたが。あれが、魂の解放者となることを宿命づけられた者の見る光──」
「もう、全然わかんないって。言ってることムズすぎる」
「そうですね。ここで全部言っても、覚えきれないでしょうから。レトリ、あなたは神より崇高な使命を授けられることになった、特別な人間とだけ。わかりますか、あなたは特別で、他の子とはまったく違う人生を歩むことになる。もしこれを昨日皆の前で話していたなら、皆どんな反応をしたと思います。想像できますか」
「あー、それはまあ、なんとなく。レトリだけずるいみたいなのは、昨日言われまくったし。シスターが怖い顔で止めてなかったら、みんなも今日一緒に来てたと思うし」
「仕方がなかったのです。その石がもし、誰かが落としたものでないとしたなら──」
シスターは俯き、思い詰めたような顔をする。
「大丈夫だよ。なんとかなるって!」
とレトリは笑い掛けながら言った。
無論、元気付けようと思ってのことで、根拠など何もない言葉ではあるが、顔は持ち上がる。
苦笑いの表情ではあったが。
「苦難の道を歩むことになるのですよ」
「誰が? わたし?」
「決まっているではないですか」
「え、そ、それは、やだな」
レトリは思わず目を逸らす。
すると可笑しそうに笑う声が、シスターの口からもれてきて、その目を戻していた。
「もう、笑わなくたって!」
「正直者なのは良いことですよ」
さあ行きますよと続けてくるが、どこへと、ずっと思ってはいる。
説明されてはいなかった。
その後、あの石を拾った辺りまでくると、先に濛々と上がる黒い煙が目に映る。
「シスターあれ見て! 火事! 早くみんなに知らせないと!」
その煙を指差し、言うが、シスターは険しい顔をするだけで、その場から動こうとはしない。
修道服の腰の所をつまみ、引く手が止まる。
「シスター……?」
様子が変に思う。
どうして止まっているのか。
緊急事態だというのに。
「シスター! シスターってば!」
何度も呼びつつ、今度はもっと強く引っ張りもした。
「もうシスター! 何やってるの!」
「見えるのですね。やはり悪い予感が当たりましたか」
何の話か。
わけがわからずいたら、シスターは身を翻し、来た道を戻り始めてはくれた。
ただ、じれったい。
早足ではあるのだが、どう考えたって、駆けて行った方が、早く着く。
「レトリ、とても大きな三角形の形をした建物を見ましたか?」
突拍子もない言葉に思え、当然、顔を横に振って返す。
「そんなのどうでもいいから、早くみんなに知らせないと森が全部燃えちゃうよ! なくなっちゃうからさ!」
「レトリ、これでも私は急いでいるつもりなのですよ」
「そっか。もう歳だから……」
「確かにその通りですが、面と向かって言うものではありませんよ」
少し睨まれ、苦笑いをすることにはなったが、いまはそれどころではない。
「じゃなくて! 一人で行ってこよっか? わたし足速いから、即効町まで着くよ!」
「そうですね。レトリは世界で一番と思うくらいの足の速さですからね」
「でしょ、でしょ。だから」
「大丈夫」
「なにが!」
あーもうと、どうしてそう悠長にしていられるのかと、頭を掻きむしりたくもなる。
が、おっとりなのは、いつものことと、だから自分がどうにかしなければと、そう思うのだが。
そんな最中にシスターの歩みが急に止まる。
今度は何だと思っている間に前に回り込んできて、屈みこんでくると、背中に腕を回された。
ぎゅっと抱きしめられて、固まった。
レトリはただ両目を白黒させる。
「…………」
わけがわからぬまま、なんとなく肩を抱こうとした腕が、その身に触れる前にシスターは離れていく。
「さ、いきましょう」
そう言うシスターの顔には、普段よく見る柔和な笑みが浮くのだが。
どこか晴れていないようにも映り、その理由を尋ねたかったが、何故か口に出す気は起きず。
その後、町まで戻る。
「あ、おじさん! もり、もがっ──」
大きな町ではないゆえ、ここに住む者は、皆顔なじみばかり。
当然、火事のことをレトリは伝えようとしたのだが、シスターにその口を塞がれてしまい、誰にも言うことができないまま、孤児院まで戻ることになる。
いいや、用があったのはその隣、教会だったようで、外で遊んでいた子達とも目が合ったが、誰も声を掛けてはこなかった。
シスターから発せられる、ただならぬ気配でも感じ取ったか。
傍にいるレトリが一番それを感じており、ここまでされるがままにもされていた。
教会の中に入ると、奥で洗礼の際に用いられる白装束に着替えさせられ、裸足となって、用意されていた盆に足を乗せることになる。
下には身を清める為の水が張ってあり、多少、頭からも被ることにはなった。
(うひぃ、つめったぁ──!)
もしこれが少し前、暖かくなる前の時期だったなら、それだけでガチガチに凍り付いていたことだろう。想像したくもないことだ。
何やら儀式が始まる。事前説明は一切なし。
司祭は不在だ。
少し前に神の御許へと旅立たれ、後任がまだ来ていない為だ。
代役を務めるシスターは、長年傍でその役目を見てきた年の功を見せ、滞りなく進行させていく。
聖書が読み上げられ、水の入った銀杯をレトリは手渡され、石をそこに落とし、祈りの言葉を口にするよう言われてその通りにし、戻す。
すると中の水が独りでに波紋を立て始め、水面に不思議な模様が浮く。
レトリは驚いて声を上げそうになるが、寸でで呑む。
恐らくは神聖な儀式の最中、それだけはしてはいけないように思ったから。
「無事に務まるか不安でしたが、なんとかなりましたか」
シスターも大役果たしたといった顔で、額に浮いた汗を拭う。
ほぅ、と安堵の息も吐いて、胸をなでおろしもしていた。
「終わった?」
「ええ。その石に宿るのは、ヴァンパイアだと神は仰せなようです」
「は? ヴァンパイア?」
「いまは、わからないと思いますが」
「いやいや、ほんとに全然意味わかんないって。これに、ヴァンパイア? ちんぷんかんぷんすぎる。意味不明すぎ……」
「それはこれから学んでいくことです。さあ、レトリ。今日からあなたには、あなたが嫌と思うことを嫌という程やってもらいます。やれますね?」
「えー、無理と思う」
何か思う前にそう言った。条件反射のように口に出た。
屈みこんできたシスターに、肩を掴まれる。
「レトリ」
真剣な顔つきだ。これは逃げられそうもない。
なら聞くまいと、顔を逸らしはしたが。
「それは神の意思に背くということですよ。将来は、立派なシスターになるのでしょう」
痛いところを突かれて、ぬぐ、と声がもれる。
ずるいと思った。幼い頃からの夢を持ち出してくるなんて、と。顔を戻す。
「……はい」
「ではレトリ、今一度尋ねます」
その後の展開など言うまでもなく、シスターは満足げな笑みを浮かべていたが、嫌な予感がしてならない。
のち、それが勉強であると聞かされた時は、この世の終わりのようにレトリには思えた。
生来の勉強嫌いなのだ。
(毎日、毎日、こんなことやれって、聞いてないよ!)
あれ以来、机の前で避けられない戦いをずっと強いられており、これまでどうにか耐えてはいたが、日がかさんでくると、いよいよ溢れ出す。
(もう無理! 無理なんだって! 誰か助けてよ──‼)
なんとかこれまで外にもらさず押し留めていた心の声が。悲鳴となってだ。
「いぃいいやあああああーーッ! もう、ムリィイイイイイ!」
それを聞きつけ、外にいた子達まで一斉に駆けつけてくるが、一時中断となったに過ぎない。
「レトリ、そんな大きな声を突然出すものではありません。皆驚いているではないですか。さ、続きをやりますよ」
そう言われて終わりだ。何事もなく続く。
「へ……、血も涙もなさすぎる。シスターの鬼! 悪魔! 鬼ババア!」
「いま、何か言いました?」
「い、いえ、なんでもありま……せん」
その日は静かな剣幕に圧倒されることになり、それ以上の反論は許されなかったが。
日付が変われば、別の手段を思いつき、対抗しだす。
聞いているフリだけしてみたり、うたた寝までしてしまった時は、流石にバレて大目玉を食らうことにもなったが。
これ以上真面目にやっていたら、身が持たない。
結果、あまり勉強は身につかず。それでも覚えたことはある。
あの石のこと。そして、シスターの言っていた【魂の解放者】とは何なのか。
当然ほかの知識も少しは蓄えてはいたが、やはり現地に行かないことには理解が及ばない。
それが本音であったが、不安もある。
一人で行くことになる。
大人達は行くどころか、見ることすら敵わないと知った。
だからシスターは森で火事と思って言ったあの時、おかしなことを言った。
見えるのですねと、そんなことを。
同じ子供なら見ることくらいは叶うが、魂の解放者でもないのに行けば、どうなるか。
知り合いの男の子が果敢に挑んだらしく、少しあの煙を吸っただけで帰ってくるなり倒れ、そのまま高熱にうなされ寝込むことになったと、その子の親からは聞いている。
度胸試しも困りもの。しかしまだ、そこまでの大事には至ってはいない。
ただいつ、あの森に漂う煙が、人の身に災い齎す瘴気という名だったそれが、この町の中にまで流れ込んでくるかは、わからない。
広がっているとは、聞いている。
早く行かないと。
わたしが止めないと、駄目なんだ。
そう思いはしても、中々行く決心というのは、固まってはくれず。
そのことを考えるあまり眠れなくなり、レトリがベッドの上で窓の外を眺めていたある晩のこと。☾
一人の子が来る。
「レトリぃ……」
お化けが喋るようなか細い声で、急に後ろから声を掛けられて、飛び上がりそうにもなったが。
その子が震えていることに気付くと、おいで、と呼んだ。
傍にくるなり腕にしがみつかれた。泣き出すようにその子は話し出す。
「ぼくこわいよ。あのけむりが、町までくるんじゃって」
「うん。わたしもそう思ってる」
「レトリなら、レトリは、あれをやっつけられるタマシイの、カイホウシャなんだよね?」
「うん、まあね。行かなきゃ行かなきゃとは、思ってるんだけどさ。足がちっとも言うこと聞いてくれなくて」
「えぇ、どんなふうに?」
「いくの嫌だって。怖がってるの。わたしはいけっていつも叱りつけてるんだけど」
冗談めかしていったおかげか、笑いがもれる。
「レトリでも、コワイことってあるんだ」
「あー、言ったな!」
膨れて見せて、あるの、あるよと言って、指で額をつつく。
するとまた笑いがもれて、二人で笑い合う。
「やるか」
気付けばそう口にしており、その日やっと決心つくのも感じた。
明日の昼には立つとも決めた。
獲物を狩るにはまだ早い時間。
寝ぼけ眼でうろを出て、高い木の上にとまった。
「おーい──どこー? どこにいるのー?」
誰かを呼ぶ声が辺りに響いており、夕闇に光る丸い目を、その声のする方へと向ける。
小さな女の子が映る。
スカートを大きくはためかせ、森の奥へと駆けていた。
「もう、どこまで行ったんだよ」
愚痴るその子の顔には、焦りが浮く。
一緒に遊んでいた男の子二人を探していた。
もうすぐ日没だというのに、姿を見せない。
暗くなれば、森から出るのは困難となり、一晩中彷徨うことにもなるだろう。
自身もそうなる可能性があり、すると大目玉を食らう可能性も大だ。
「おーい、レトリー! 奥まで行ったらあぶないぞーっ!」
ただ、その心配は杞憂に終わる。
後ろから、その片割れの声が飛んできた。
知らぬ間に追い越してしまっていたことに気が付くと、女の子は振り返る。
その際、傍にいた大きなフクロウを目にすることになり、驚いて一度目をそちらへ戻す。
すぐに飛んでいなくなったが、いた所の地面に目が留まる。
何か落ちている。
一見は、小さな黒い卵。
しかし妙に光沢があり、宝石のようにも見えなくもない。
なんだろう?と思い、そこまで行って、拾い上げた。
「うそ、ほんとに宝石だよ、これ。綺麗────」
それが出会いであり、これをきっかけに彼女の運命は大きく変わることになる。
戦いの日々に身を投じることになり、やがては世界の命運を握るところまで羽ばたいていくことになるのだが……、
そう仕向けた相手は、いったい誰か。偶然などではない。
────やっと見つけた。私の器────
人知れず笑うその者は、天使か悪魔かそれとも魔女か。
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追いかけてくるように昇る月が、夜に浮く前に戻ることができた。
その時間は、灯火と、遠くからしてくる獣の声と、虫の音に包まれるような小さな町だ。
都会のような喧騒はない。のだが、今日は別と騒ぐ場所がある。
「はい、みんなちゅうもーく! わたしは今日、森ですごいお宝を発見しました!」
町はずれにある教会の隣、孤児院の中。
手の上に乗る宝石のように綺麗な石を見て、わあきゃあと子供達の声が上がる。
「いったいどうしたと言うのです」
奥にあるキッチンから老齢のシスターが顔を見せた。
「あ、シスター!」
「シスターだ!」
「シスターみてみて!」
ここで暮らす子達にとっては、母も同然の存在だ。
一斉に集い、それを見せに行った。
「レトリが宝石拾った!」
「これだよ、これ。森に落ちてたって!」
レトリの手の上に乗るそれ、その石を一目見た彼女の顔には、動揺といつにない険しさが浮く。
「それは──、核」
「かく?」
拾った当人も戸惑いを見せており、気まずそうに尋ねていた。
「もしかして、拾ったらまずいものだった? でも綺麗で」
「どうしてあの森に。誰かが──いえ、そんなはずは」
その時突然、その石が淡い光を放つ。
「うわ、光ったよ!」
皆、驚いた顔をしていたが、シスターだけがその後にただ一人、神妙な面持ちを見せる。
(これはもしや、神のお導きなのやもしれませんね──)
心の中で、人知れずもれたその言葉の真意は、あくる日、明かされる。
☾→☼
シスターは、朝早くにレトリを外に連れ出し、拾ったと聞いた場所まで足を運ぶ。
子供の足でもいける距離だ。
大きな危険も特になく、中に入っても異変は何も感じない。
木の葉のざわめきに包まれ、時折、鳥が鳴く。
「はぁ、きれーい……」
レトリの視線は、ずっと手元。
あの石に見惚れていたのだが。
「レトリ、いけませんよ」
「え、なにが?」
そう言われて、目をそちらへやる。
「それは魅入られて良いものでもないのです。その秘めたる力にのまれてしまうことになる。裏を返せば、それだけあなたが気に入られている証にも思えますが。やはり、昨日のあれは──」
「昨日のあれって? なんか昨日からシスター変だよ?」
「そんなふうにもなりましょうよ。いいですか、昨日あなたの手の上でその石が光ったことを言っているのです。資格ありと示したのだと、私の目には見えました」
「しかくあり?」
「そうです。わたしもこの目で見るのは初めてでしたが。あれが、魂の解放者となることを宿命づけられた者の見る光──」
「もう、全然わかんないって。言ってることムズすぎる」
「そうですね。ここで全部言っても、覚えきれないでしょうから。レトリ、あなたは神より崇高な使命を授けられることになった、特別な人間とだけ。わかりますか、あなたは特別で、他の子とはまったく違う人生を歩むことになる。もしこれを昨日皆の前で話していたなら、皆どんな反応をしたと思います。想像できますか」
「あー、それはまあ、なんとなく。レトリだけずるいみたいなのは、昨日言われまくったし。シスターが怖い顔で止めてなかったら、みんなも今日一緒に来てたと思うし」
「仕方がなかったのです。その石がもし、誰かが落としたものでないとしたなら──」
シスターは俯き、思い詰めたような顔をする。
「大丈夫だよ。なんとかなるって!」
とレトリは笑い掛けながら言った。
無論、元気付けようと思ってのことで、根拠など何もない言葉ではあるが、顔は持ち上がる。
苦笑いの表情ではあったが。
「苦難の道を歩むことになるのですよ」
「誰が? わたし?」
「決まっているではないですか」
「え、そ、それは、やだな」
レトリは思わず目を逸らす。
すると可笑しそうに笑う声が、シスターの口からもれてきて、その目を戻していた。
「もう、笑わなくたって!」
「正直者なのは良いことですよ」
さあ行きますよと続けてくるが、どこへと、ずっと思ってはいる。
説明されてはいなかった。
その後、あの石を拾った辺りまでくると、先に濛々と上がる黒い煙が目に映る。
「シスターあれ見て! 火事! 早くみんなに知らせないと!」
その煙を指差し、言うが、シスターは険しい顔をするだけで、その場から動こうとはしない。
修道服の腰の所をつまみ、引く手が止まる。
「シスター……?」
様子が変に思う。
どうして止まっているのか。
緊急事態だというのに。
「シスター! シスターってば!」
何度も呼びつつ、今度はもっと強く引っ張りもした。
「もうシスター! 何やってるの!」
「見えるのですね。やはり悪い予感が当たりましたか」
何の話か。
わけがわからずいたら、シスターは身を翻し、来た道を戻り始めてはくれた。
ただ、じれったい。
早足ではあるのだが、どう考えたって、駆けて行った方が、早く着く。
「レトリ、とても大きな三角形の形をした建物を見ましたか?」
突拍子もない言葉に思え、当然、顔を横に振って返す。
「そんなのどうでもいいから、早くみんなに知らせないと森が全部燃えちゃうよ! なくなっちゃうからさ!」
「レトリ、これでも私は急いでいるつもりなのですよ」
「そっか。もう歳だから……」
「確かにその通りですが、面と向かって言うものではありませんよ」
少し睨まれ、苦笑いをすることにはなったが、いまはそれどころではない。
「じゃなくて! 一人で行ってこよっか? わたし足速いから、即効町まで着くよ!」
「そうですね。レトリは世界で一番と思うくらいの足の速さですからね」
「でしょ、でしょ。だから」
「大丈夫」
「なにが!」
あーもうと、どうしてそう悠長にしていられるのかと、頭を掻きむしりたくもなる。
が、おっとりなのは、いつものことと、だから自分がどうにかしなければと、そう思うのだが。
そんな最中にシスターの歩みが急に止まる。
今度は何だと思っている間に前に回り込んできて、屈みこんでくると、背中に腕を回された。
ぎゅっと抱きしめられて、固まった。
レトリはただ両目を白黒させる。
「…………」
わけがわからぬまま、なんとなく肩を抱こうとした腕が、その身に触れる前にシスターは離れていく。
「さ、いきましょう」
そう言うシスターの顔には、普段よく見る柔和な笑みが浮くのだが。
どこか晴れていないようにも映り、その理由を尋ねたかったが、何故か口に出す気は起きず。
その後、町まで戻る。
「あ、おじさん! もり、もがっ──」
大きな町ではないゆえ、ここに住む者は、皆顔なじみばかり。
当然、火事のことをレトリは伝えようとしたのだが、シスターにその口を塞がれてしまい、誰にも言うことができないまま、孤児院まで戻ることになる。
いいや、用があったのはその隣、教会だったようで、外で遊んでいた子達とも目が合ったが、誰も声を掛けてはこなかった。
シスターから発せられる、ただならぬ気配でも感じ取ったか。
傍にいるレトリが一番それを感じており、ここまでされるがままにもされていた。
教会の中に入ると、奥で洗礼の際に用いられる白装束に着替えさせられ、裸足となって、用意されていた盆に足を乗せることになる。
下には身を清める為の水が張ってあり、多少、頭からも被ることにはなった。
(うひぃ、つめったぁ──!)
もしこれが少し前、暖かくなる前の時期だったなら、それだけでガチガチに凍り付いていたことだろう。想像したくもないことだ。
何やら儀式が始まる。事前説明は一切なし。
司祭は不在だ。
少し前に神の御許へと旅立たれ、後任がまだ来ていない為だ。
代役を務めるシスターは、長年傍でその役目を見てきた年の功を見せ、滞りなく進行させていく。
聖書が読み上げられ、水の入った銀杯をレトリは手渡され、石をそこに落とし、祈りの言葉を口にするよう言われてその通りにし、戻す。
すると中の水が独りでに波紋を立て始め、水面に不思議な模様が浮く。
レトリは驚いて声を上げそうになるが、寸でで呑む。
恐らくは神聖な儀式の最中、それだけはしてはいけないように思ったから。
「無事に務まるか不安でしたが、なんとかなりましたか」
シスターも大役果たしたといった顔で、額に浮いた汗を拭う。
ほぅ、と安堵の息も吐いて、胸をなでおろしもしていた。
「終わった?」
「ええ。その石に宿るのは、ヴァンパイアだと神は仰せなようです」
「は? ヴァンパイア?」
「いまは、わからないと思いますが」
「いやいや、ほんとに全然意味わかんないって。これに、ヴァンパイア? ちんぷんかんぷんすぎる。意味不明すぎ……」
「それはこれから学んでいくことです。さあ、レトリ。今日からあなたには、あなたが嫌と思うことを嫌という程やってもらいます。やれますね?」
「えー、無理と思う」
何か思う前にそう言った。条件反射のように口に出た。
屈みこんできたシスターに、肩を掴まれる。
「レトリ」
真剣な顔つきだ。これは逃げられそうもない。
なら聞くまいと、顔を逸らしはしたが。
「それは神の意思に背くということですよ。将来は、立派なシスターになるのでしょう」
痛いところを突かれて、ぬぐ、と声がもれる。
ずるいと思った。幼い頃からの夢を持ち出してくるなんて、と。顔を戻す。
「……はい」
「ではレトリ、今一度尋ねます」
その後の展開など言うまでもなく、シスターは満足げな笑みを浮かべていたが、嫌な予感がしてならない。
のち、それが勉強であると聞かされた時は、この世の終わりのようにレトリには思えた。
生来の勉強嫌いなのだ。
(毎日、毎日、こんなことやれって、聞いてないよ!)
あれ以来、机の前で避けられない戦いをずっと強いられており、これまでどうにか耐えてはいたが、日がかさんでくると、いよいよ溢れ出す。
(もう無理! 無理なんだって! 誰か助けてよ──‼)
なんとかこれまで外にもらさず押し留めていた心の声が。悲鳴となってだ。
「いぃいいやあああああーーッ! もう、ムリィイイイイイ!」
それを聞きつけ、外にいた子達まで一斉に駆けつけてくるが、一時中断となったに過ぎない。
「レトリ、そんな大きな声を突然出すものではありません。皆驚いているではないですか。さ、続きをやりますよ」
そう言われて終わりだ。何事もなく続く。
「へ……、血も涙もなさすぎる。シスターの鬼! 悪魔! 鬼ババア!」
「いま、何か言いました?」
「い、いえ、なんでもありま……せん」
その日は静かな剣幕に圧倒されることになり、それ以上の反論は許されなかったが。
日付が変われば、別の手段を思いつき、対抗しだす。
聞いているフリだけしてみたり、うたた寝までしてしまった時は、流石にバレて大目玉を食らうことにもなったが。
これ以上真面目にやっていたら、身が持たない。
結果、あまり勉強は身につかず。それでも覚えたことはある。
あの石のこと。そして、シスターの言っていた【魂の解放者】とは何なのか。
当然ほかの知識も少しは蓄えてはいたが、やはり現地に行かないことには理解が及ばない。
それが本音であったが、不安もある。
一人で行くことになる。
大人達は行くどころか、見ることすら敵わないと知った。
だからシスターは森で火事と思って言ったあの時、おかしなことを言った。
見えるのですねと、そんなことを。
同じ子供なら見ることくらいは叶うが、魂の解放者でもないのに行けば、どうなるか。
知り合いの男の子が果敢に挑んだらしく、少しあの煙を吸っただけで帰ってくるなり倒れ、そのまま高熱にうなされ寝込むことになったと、その子の親からは聞いている。
度胸試しも困りもの。しかしまだ、そこまでの大事には至ってはいない。
ただいつ、あの森に漂う煙が、人の身に災い齎す瘴気という名だったそれが、この町の中にまで流れ込んでくるかは、わからない。
広がっているとは、聞いている。
早く行かないと。
わたしが止めないと、駄目なんだ。
そう思いはしても、中々行く決心というのは、固まってはくれず。
そのことを考えるあまり眠れなくなり、レトリがベッドの上で窓の外を眺めていたある晩のこと。☾
一人の子が来る。
「レトリぃ……」
お化けが喋るようなか細い声で、急に後ろから声を掛けられて、飛び上がりそうにもなったが。
その子が震えていることに気付くと、おいで、と呼んだ。
傍にくるなり腕にしがみつかれた。泣き出すようにその子は話し出す。
「ぼくこわいよ。あのけむりが、町までくるんじゃって」
「うん。わたしもそう思ってる」
「レトリなら、レトリは、あれをやっつけられるタマシイの、カイホウシャなんだよね?」
「うん、まあね。行かなきゃ行かなきゃとは、思ってるんだけどさ。足がちっとも言うこと聞いてくれなくて」
「えぇ、どんなふうに?」
「いくの嫌だって。怖がってるの。わたしはいけっていつも叱りつけてるんだけど」
冗談めかしていったおかげか、笑いがもれる。
「レトリでも、コワイことってあるんだ」
「あー、言ったな!」
膨れて見せて、あるの、あるよと言って、指で額をつつく。
するとまた笑いがもれて、二人で笑い合う。
「やるか」
気付けばそう口にしており、その日やっと決心つくのも感じた。
明日の昼には立つとも決めた。
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