天使か悪魔かそれとも魔女か~死者集う墓標のラビリンス~
Warning!ボス戦 後半
巨大な火柱が上がっており、あとから煙も噴き上がる。
大気が振動し、部屋に轟音を響かせていた。
巨人が跳ね回れるほどの空間がなければ、粉微塵に砕けていたことだろう。
無論その被害はレトリにも及ぶ。
その場から吹っ飛ばされており、床を転げていた。
しかし止まると即座に身を起こす。
(び、びっくりしたぁ──!)
爆心地の傍だったというのに、大した負傷もない。
肉体が頑強だったというのもあるが、直前に目にしていた光の壁のおかげでもある。
上、煙の中を落ちてくる人影のようなものがあり、それがゴルであると気が付くと、レトリは慌てて受け止めにいく。
「わわ、おっと」
下で右往左往しつつも無事確保。
「ゴルくん‼ ゴルくん‼」
名を呼び、揺すっても、目が虚ろだ。
行く前からわりとボロボロだったというのに、より酷いことにもなっている。
「は、あ……」
ゴルの口から微かな声がもれ出ると、レトリは耳をそばだてる。
「だめだ……、まだ、ひかって」
虚空を見ていた目が、こちらを向いた。
「かくを、こわせ」
「わかった。核を壊せばいいんだね」
「もって、かえろうとか」
「思わない! ちゃんと壊すから! 任せてよ」
目にも力を込めて言うと、その顔に微かな笑みが浮くのが見えた。
安心したように目を瞑っており、任せて、ともう一度口にして、なるべく綺麗な場所にゴルを下ろしに行った。
レトリは終わるとすぐさま、巨人の方へと駆けていく。
「エホッ、ケホッ──」
かなり深い煙に包まれていたが、火は既に収まっており、掻き分けて進み、傍までくる。
見上げた。
骨だけの姿となった巨人が映り、動き出すような気配もない。
これでもまだ駄目なのか、とも思うが、そもそもが動く死体みたいなものだ。
(あれ、核だよね──?)
ふと両目に怪しい光が映りこむ。
黒っぽく、綺麗な色ではないが、光る物など以外にないと思い、翼を振って羽ばたき立つ。
腰骨の所から身の内へ侵入し、胸の所にあったそれの前まで来る。
丸い形状であり、やっぱりと確信を持てた。
腕に力がこもる。ミシリ、と手元から鳴った。
バットを振るみたくステッキを大きく振りかぶる。
目を閉じた。頭の中で祈りを捧げる。
これで、天へと昇れますように──、と。
瞼を持ち上げる。腕を思い切り振った。
砕き割る。
「ああああああああああああああああッ‼」
気迫を乗せた、絶叫にも近い声が、こだましていた。
その勢いにステッキも耐えられずに消し飛んで、辺りを包んでいた煙まで吹っ飛び消滅する。
澄んだ宙に、飛び散った無数の破片がきらきらと舞い、降り注ぐ所がよく目に映る。
まるで、穢れが払われたことを示すかのような光景であり、見ていると、知らない記憶が頭に蘇る。
会ったこともない誰かの顔や、どこかもわからない風景が映っては消え、映っては消え。
最初は当惑し、眉を寄せていたレトリだが、それが巨人の記憶であることに、さして時間も掛からずに気が付く。
その中には、壮絶な記憶も混じる。
息荒く瓦礫の山を掻き分け、掘り起こした場所から出てきた人を抱き、慟哭を上げ続ける姿があった。
顔もわからぬほどに焦げ、目を覆いたくなるような姿をしていたが、前の記憶も見ていたせいで、その人が誰なのか、すぐに察しがついてしまった。
最愛の人を失った悲しみは、計り知れない。
だからその怨みに呑み込まれて、こんな姿に。
気付けば胸の前で手を組み、祈りを捧げていた。
その人とまた、上で再会できることを願う。
今の自分にできることと言えば、こうすることくらいで、しばらくの間、それを行い、終わると見上げた。
空が見えるような場所ではないが、もうすぐ昇っていくはずだ。
怨みという名の黒い穢れは、さっき払った。
天国にもきっといけるはず。
やり遂げたのだと、そう思った、その時。
『──許さぬ。許さぬぞ』
思わぬ言葉が頭の上から降ってきて、レトリは驚き固まっていた。
その顔には、これ以上ない困惑が浮く。
『──死してたどり着いた安らぎの場すら奪う、貴様らを。決して許さぬ』
違うと思った瞬間には、声を上げていた。
「ご、誤解してる! わたしは! わたし達はそんなつもりで──」
悪いことなどやってない。どうしてそんなことを言うのか。わからない。
頭が混乱して言葉に詰まる。
その間に巨人は骨の身を崩していき、消えた。
跡形もなく失せた。
もう弁解の余地はない。それを思うと声が、震えていた。
「そ、そんなことない。おかしいって。これはとても、尊い行いなんだって、シスターも」
身を抱く。
体は熱いはずなのに、寒い。寒くて堪らない。
身の震えが収まらない。
それが恐怖から来るものであること、頭では理解していたが、理性でどうにかなるものでもなく。
しばらくすると、飛ぶこともままならなくなってきて、落ちる。
床を受け止めた両足が、少し痺れた。
その痛みのおかげか多少は持ち直せたが、立つことは難しく、その場にへたり込む。
「……どうして?」
ぽつりともれた。
目の焦点が合わなくなってきており、何もわからなくもなってくる。
泣きじゃくりたい、という気持ちはあるのだが、目からは一滴の涙も出ず、悲しいという感情が、どこかへ行ってしまったかのように感じていた。
胸にぽっかりと空いた穴に、落ちていってしまったか。
不思議だった。何より不思議なのは、善であると疑いもしなかったことが、いまは悪のようにしか感じられていないことではあるが。
魂の解放者とは、紛れもない“善”ではなかったのか。
だからここまで、頑張ってきたというのに。必死に戦ったというのに。
どういうわけか、うらまれた。
「実際、そうだもんね……。わたしが、追い出したんだ」
客観的に自分のしたことを言葉にした瞬間、やっと目から涙がこぼれてくれた。
いいや、とめどなく流れ出てきて、止められそうもない。
「お節介だったって、ことかな。余計なことしちゃったのかな。正義を、振りかざしてさ」
身を丸くして唇を噛む。
痛みでも感じていなければ、正気を保てそうにないとは、感じていた。
「わたし、嘘つかれてたのかな? そんなわけないのに、何言ってるんだろ──、お母さんがそんな嘘つくはずない! 知らなかったんだ。わたしも、知らなかっただけで──」
もう何も見えなくなってくる。
陽が陰るように、その瞳が、心に立ち込める暗雲に覆いつくされると同時、全体が揺れ始めた。
部屋に走っていた無数の亀裂はより深いものへと変わり、天井も崩れ始めてくる。
「おい……、なにやってる……」
そんな中、ゴルが絞り出すようにその名を呼んでいたが、いまのレトリの耳に届くことはなく。
「レトリ……、おい、レトリ……、返事をしろ、レトリ」
呼ぶ声も次第にはっきりとしたものへと変わっていく。
その身に異変が起きていること、ゴルも肌で感じ取っており、最後の力を振り絞る。
「こんな時に呆けてんじゃねぇぞ、クソッタレが」
手をついた。そのまま起き上がろうとしていると、涙でぐしょぐしょに濡れた顔が、ふと目に映りこむ。
やっと声は届いたようだが、酷い顔だ。
「さっき泣くなって、言ったばかりだろうが」
そんな顔を見せられては、吊り上がっていた眉も思わず下がる。
溜息ついたあと、再びゴルは、全身に力を込めた。
──いますぐ傍に行ってやらないと。
そう思うのだが、ぼろぼろの身体は気持ちに反して全く言うことを聞いてくれず。
(──動けって。俺の体。動けよ、このやろうっ!)
加えて、生まれつき片足不自由な身。
普通の状態でも立つのに多少の苦労はあるというのに、代わりに動いてくれる魔導兵士のボディが先の自爆で吹っ飛んだ今、気合だけではどうにもならないこともあり、立つには立てたが、すぐさまバランスを崩す。
(なにやってんだ、俺は。マジだせぇ──)
しかし傾く視界に予期せぬ光景が映り込む。
それは駆けこんでくるレトリの姿であり、目を見開いたまま、抱き留められて、固まった。
しばらくしてから笑いがもれる。体から力も抜けた。
「読めない奴だな。俺の頑張りを無駄にしやがって」
「なんでだろ……」
「知らねーよ。体が勝手に動いたってか。おもしれー女」
「危ないって思ったら。もう立てる気なんて、しなかったのに……」
「らしくていいんじゃないか。思い悩むとかも、らしくないだろ」
胸に顔をうずめられている格好だ。
腕を持ち上げれば自然と背中の方へと手が回り、そっと抱き寄せた。
「姉さんがいるのは知ってるだろ。お前に似てるとこあってな。だから気持ちはわかるつもりだ。あとで好きなだけ吐きだせよ。聞いてやるから」
うん、と小さく返ってくる。
「まあでも、いまはだな──走れるか?」
「たぶん」
「だったら走れ。何も考えなくていいくらい、がむしゃらにだ」
今はあまり悠長にもしていられない。
なるべく早く立ち直ってくれることを願いつつ、ゴルは部屋の入り口を指差す。
「ほらレトリ、あの入り口向かってゴーだ! 俺をおぶってさあ走れ! ヒュイゴー!」
胸を軽く小突かれる。
「もう、台無し。わたし犬じゃないんだよ」
しまった、言葉を間違えたか、とも一瞬思ったが。
身を離し、見せたレトリの顔には、呆れも覗くが、笑みが浮く。
「犬っぽいってだけでね」
次の瞬間それが、弾けるようなものへと変わった。
それで無理に涙を払い落とし、気丈に振る舞う姿が痛々しくも見えるが、しばらくは大丈夫そうに思え、ゴルは身を差し出す。
それで言葉にした通りのことをして貰おうとしたのだが、抱っこされることになった。
不満はあるが、顔には出さない。
「それはすまない。次からは気を付けよう」
「いいよ。励まそうとしてくれたみたいだし、ゴルくんらしいし」
レトリは駆けていく。
確かに今は、言われた通りと思っていた。
思い悩んで、足を止めている時などではない。
帰りを待つ人がいる。沢山いる。だから生きてここを出る。
持ち前の俊足が唸りを上げた。三階など一瞬だ。
即効、駆け抜け、階段も駆け下り、問題なのは、次に来る二階。
身構えてもいたのだが、あったはずの広大な荒野は消え失せ、何もないただ広いだけの部屋へと様変わりしており、不思議に思いつつも駆け抜けていく。
そうして着いた一階は、特段変わった様子もなく。
行きに感じたあの長さが、いまは厄介にも感じられたが、迷わされるような場所でもない。
走って、走って、走り続け、息も上がってきた頃、ようやく入り口が目に飛び込んでくる。
これで最後と、ラストスパートをかけた。
勢い落とさず、そのまま外へと飛び出し、階段もジャンプで一息に飛び越す。
両足を地面に着けると同時、衣服が戻って変身が解ける。
足が自然と止まるのを待って、振り返って、見上げた。
ラビリンスがその姿を薄れさせ、消えていく。
崩れ去るように思っていたのだが、違ったようだ。
「はぁ、はぁ……、やったね」
「マジでぎりぎりだったな……、が、くそ、いてぇ……」
「ゴルくん、無茶したもんね。無茶しすぎだよ」
「ああでもしなきゃ、勝てなかったろ」
「うん」
「ったく、なんだあの化け物。まさかボスにまで特殊個体がいるなんてことはないだろうな。初耳だぞ」
「でも二人だったから、戻ってこられた」
「……、そろそろ下ろしてくれないか。何言ってもこれじゃあな。カッコがつかないだろ」
「えー、どうしようかなぁ?」
冗談めかして言ったら、こめかみの所に怒りマークが浮くのが見え、レトリはすぐに従う。
腕から下ろすと、途端に尻を打っていた。
足からいったせいであり、ごめん、と言おうとしたのだが、手をかざされて、止められる。
うつ伏せの状態となって、ゴルは地面を這っていく。
向かっている場所は、入る時に投げ捨てていた杖の所だ。
すぐ傍にあり、掴んで、立って、こちらへ向き直ってくる。
「レトリ、お前は正しいことをした」
正面から受け止めるには、まだ勇気が足りず、顔が俯く。
垂れた前髪越しに、レトリはゴルを見ていた。
「最後に怨み言をいろいろ言われたがな、あんなのは逆怨みってやつだ。最初に仕掛けてきたのは、向こうだろ。死者の国から態々こっちへ出向いてきてな。俺らはただ自分達の住む世界を守っただけだ。違うか」
「そう──なのかな。でも巨人にも理由があって」
「誰かへの復讐か?」
「うん。そんな運命を与えた神に対しても」
「そっちは直接いけよって話だろ。繋がってんじゃないのか」
「冥府はずっと、地の底にあるみたいだから」
「なるほどな。天界、下界との位置関係を考えたら、ラビリンスには中継地点としての役割もあったと。その仮説が正しいかどうかはひとまず置いておくとして、だからと言って、まったく無関係な人間にまで迷惑かけてもいい理由にはならないだろ。死人が出るようなことしてたんだぞ」
「それは──、そうなんだけど」
「俺の勝ちでいいか?」
「なんか、それずるい。好きなだけわたしの話聞くとか言ってたのに」
「聞いてるだろ。結局お前は何が言いたい」
「わたしは、巨人もしたくてやったわけじゃくて、どうしようもない怨みがあったから、それでってことを言いたくて」
「俺はそれに対して客観的な事実を見ろって、あたまっから言ってるだろ」
杖をつき、ゴルは戻ってくる。
「いいか。巨人の方から悪さをしてきて、だから俺らは退治した」
「だから、それとこれとはみたいな、話聞いてよ」
思わず持ち上げた頭の上に手が乗った。
急にポンとされて、頭にあった言葉が、全部飛んだ。
「お前は何のためにここへ来たんだ。金儲けのためか」
「……、違うよ。鬱陶しいから手をどけて」
「じゃあ何の為だ。それ聞いてからだ」
「みんなのため、かな。わたしさ」
全部言う前に手が離れていく。
「傍の町に住んでるんだろ」
今まさに口にしようとしていたことを先に言われ、横を通り過ぎていく顔を、見開いた目で思わず見る。
「簡単な推理だろ。お前初心者なんだから。胸張って帰ればいいんだよ。ヒーローの顔してな」
すれ違いざま、向けてきた顔には、ニヒルな笑みが浮く。
顔を戻して立ち去っていく背を、しばらくの間、呆然と見ていたが、ハッと我に返ると、何も言わずに後を追った。
気付けば、辺りを包んでいた瘴気も大分薄れて、どこからか囀る小鳥の鳴き声が、耳に届く。
周りの枯れ果てた木々も、上から降るようになった柔らかな日差しに照らされ、血色づいたように映り、命の輝きを戻しつつあるように思えた。
「あー、マジ歩くのつれぇ……」
「また抱っこいる?」
「要らん!」
「言うと思った」
笑い声と共に、レトリの顔からも朗らかな笑みがこぼれ落ちる。
森に、春の陽気が戻りつつあった。
その裏、足元に伸びる影のように人知れずある闇の中で、林檎が放り上げられて、手に落ちて、また上がっては、落ちて。口に運ばれる。
一口齧って、吐き捨てられた。
「最高にまずいわね。あと少しだったっていうのに。邪魔な子。長生きできるとは思わないことね」
獰猛な赤い目が浮く。
その目が、深淵から覗きあげるように、傍を歩く少年を見ていた。
大気が振動し、部屋に轟音を響かせていた。
巨人が跳ね回れるほどの空間がなければ、粉微塵に砕けていたことだろう。
無論その被害はレトリにも及ぶ。
その場から吹っ飛ばされており、床を転げていた。
しかし止まると即座に身を起こす。
(び、びっくりしたぁ──!)
爆心地の傍だったというのに、大した負傷もない。
肉体が頑強だったというのもあるが、直前に目にしていた光の壁のおかげでもある。
上、煙の中を落ちてくる人影のようなものがあり、それがゴルであると気が付くと、レトリは慌てて受け止めにいく。
「わわ、おっと」
下で右往左往しつつも無事確保。
「ゴルくん‼ ゴルくん‼」
名を呼び、揺すっても、目が虚ろだ。
行く前からわりとボロボロだったというのに、より酷いことにもなっている。
「は、あ……」
ゴルの口から微かな声がもれ出ると、レトリは耳をそばだてる。
「だめだ……、まだ、ひかって」
虚空を見ていた目が、こちらを向いた。
「かくを、こわせ」
「わかった。核を壊せばいいんだね」
「もって、かえろうとか」
「思わない! ちゃんと壊すから! 任せてよ」
目にも力を込めて言うと、その顔に微かな笑みが浮くのが見えた。
安心したように目を瞑っており、任せて、ともう一度口にして、なるべく綺麗な場所にゴルを下ろしに行った。
レトリは終わるとすぐさま、巨人の方へと駆けていく。
「エホッ、ケホッ──」
かなり深い煙に包まれていたが、火は既に収まっており、掻き分けて進み、傍までくる。
見上げた。
骨だけの姿となった巨人が映り、動き出すような気配もない。
これでもまだ駄目なのか、とも思うが、そもそもが動く死体みたいなものだ。
(あれ、核だよね──?)
ふと両目に怪しい光が映りこむ。
黒っぽく、綺麗な色ではないが、光る物など以外にないと思い、翼を振って羽ばたき立つ。
腰骨の所から身の内へ侵入し、胸の所にあったそれの前まで来る。
丸い形状であり、やっぱりと確信を持てた。
腕に力がこもる。ミシリ、と手元から鳴った。
バットを振るみたくステッキを大きく振りかぶる。
目を閉じた。頭の中で祈りを捧げる。
これで、天へと昇れますように──、と。
瞼を持ち上げる。腕を思い切り振った。
砕き割る。
「ああああああああああああああああッ‼」
気迫を乗せた、絶叫にも近い声が、こだましていた。
その勢いにステッキも耐えられずに消し飛んで、辺りを包んでいた煙まで吹っ飛び消滅する。
澄んだ宙に、飛び散った無数の破片がきらきらと舞い、降り注ぐ所がよく目に映る。
まるで、穢れが払われたことを示すかのような光景であり、見ていると、知らない記憶が頭に蘇る。
会ったこともない誰かの顔や、どこかもわからない風景が映っては消え、映っては消え。
最初は当惑し、眉を寄せていたレトリだが、それが巨人の記憶であることに、さして時間も掛からずに気が付く。
その中には、壮絶な記憶も混じる。
息荒く瓦礫の山を掻き分け、掘り起こした場所から出てきた人を抱き、慟哭を上げ続ける姿があった。
顔もわからぬほどに焦げ、目を覆いたくなるような姿をしていたが、前の記憶も見ていたせいで、その人が誰なのか、すぐに察しがついてしまった。
最愛の人を失った悲しみは、計り知れない。
だからその怨みに呑み込まれて、こんな姿に。
気付けば胸の前で手を組み、祈りを捧げていた。
その人とまた、上で再会できることを願う。
今の自分にできることと言えば、こうすることくらいで、しばらくの間、それを行い、終わると見上げた。
空が見えるような場所ではないが、もうすぐ昇っていくはずだ。
怨みという名の黒い穢れは、さっき払った。
天国にもきっといけるはず。
やり遂げたのだと、そう思った、その時。
『──許さぬ。許さぬぞ』
思わぬ言葉が頭の上から降ってきて、レトリは驚き固まっていた。
その顔には、これ以上ない困惑が浮く。
『──死してたどり着いた安らぎの場すら奪う、貴様らを。決して許さぬ』
違うと思った瞬間には、声を上げていた。
「ご、誤解してる! わたしは! わたし達はそんなつもりで──」
悪いことなどやってない。どうしてそんなことを言うのか。わからない。
頭が混乱して言葉に詰まる。
その間に巨人は骨の身を崩していき、消えた。
跡形もなく失せた。
もう弁解の余地はない。それを思うと声が、震えていた。
「そ、そんなことない。おかしいって。これはとても、尊い行いなんだって、シスターも」
身を抱く。
体は熱いはずなのに、寒い。寒くて堪らない。
身の震えが収まらない。
それが恐怖から来るものであること、頭では理解していたが、理性でどうにかなるものでもなく。
しばらくすると、飛ぶこともままならなくなってきて、落ちる。
床を受け止めた両足が、少し痺れた。
その痛みのおかげか多少は持ち直せたが、立つことは難しく、その場にへたり込む。
「……どうして?」
ぽつりともれた。
目の焦点が合わなくなってきており、何もわからなくもなってくる。
泣きじゃくりたい、という気持ちはあるのだが、目からは一滴の涙も出ず、悲しいという感情が、どこかへ行ってしまったかのように感じていた。
胸にぽっかりと空いた穴に、落ちていってしまったか。
不思議だった。何より不思議なのは、善であると疑いもしなかったことが、いまは悪のようにしか感じられていないことではあるが。
魂の解放者とは、紛れもない“善”ではなかったのか。
だからここまで、頑張ってきたというのに。必死に戦ったというのに。
どういうわけか、うらまれた。
「実際、そうだもんね……。わたしが、追い出したんだ」
客観的に自分のしたことを言葉にした瞬間、やっと目から涙がこぼれてくれた。
いいや、とめどなく流れ出てきて、止められそうもない。
「お節介だったって、ことかな。余計なことしちゃったのかな。正義を、振りかざしてさ」
身を丸くして唇を噛む。
痛みでも感じていなければ、正気を保てそうにないとは、感じていた。
「わたし、嘘つかれてたのかな? そんなわけないのに、何言ってるんだろ──、お母さんがそんな嘘つくはずない! 知らなかったんだ。わたしも、知らなかっただけで──」
もう何も見えなくなってくる。
陽が陰るように、その瞳が、心に立ち込める暗雲に覆いつくされると同時、全体が揺れ始めた。
部屋に走っていた無数の亀裂はより深いものへと変わり、天井も崩れ始めてくる。
「おい……、なにやってる……」
そんな中、ゴルが絞り出すようにその名を呼んでいたが、いまのレトリの耳に届くことはなく。
「レトリ……、おい、レトリ……、返事をしろ、レトリ」
呼ぶ声も次第にはっきりとしたものへと変わっていく。
その身に異変が起きていること、ゴルも肌で感じ取っており、最後の力を振り絞る。
「こんな時に呆けてんじゃねぇぞ、クソッタレが」
手をついた。そのまま起き上がろうとしていると、涙でぐしょぐしょに濡れた顔が、ふと目に映りこむ。
やっと声は届いたようだが、酷い顔だ。
「さっき泣くなって、言ったばかりだろうが」
そんな顔を見せられては、吊り上がっていた眉も思わず下がる。
溜息ついたあと、再びゴルは、全身に力を込めた。
──いますぐ傍に行ってやらないと。
そう思うのだが、ぼろぼろの身体は気持ちに反して全く言うことを聞いてくれず。
(──動けって。俺の体。動けよ、このやろうっ!)
加えて、生まれつき片足不自由な身。
普通の状態でも立つのに多少の苦労はあるというのに、代わりに動いてくれる魔導兵士のボディが先の自爆で吹っ飛んだ今、気合だけではどうにもならないこともあり、立つには立てたが、すぐさまバランスを崩す。
(なにやってんだ、俺は。マジだせぇ──)
しかし傾く視界に予期せぬ光景が映り込む。
それは駆けこんでくるレトリの姿であり、目を見開いたまま、抱き留められて、固まった。
しばらくしてから笑いがもれる。体から力も抜けた。
「読めない奴だな。俺の頑張りを無駄にしやがって」
「なんでだろ……」
「知らねーよ。体が勝手に動いたってか。おもしれー女」
「危ないって思ったら。もう立てる気なんて、しなかったのに……」
「らしくていいんじゃないか。思い悩むとかも、らしくないだろ」
胸に顔をうずめられている格好だ。
腕を持ち上げれば自然と背中の方へと手が回り、そっと抱き寄せた。
「姉さんがいるのは知ってるだろ。お前に似てるとこあってな。だから気持ちはわかるつもりだ。あとで好きなだけ吐きだせよ。聞いてやるから」
うん、と小さく返ってくる。
「まあでも、いまはだな──走れるか?」
「たぶん」
「だったら走れ。何も考えなくていいくらい、がむしゃらにだ」
今はあまり悠長にもしていられない。
なるべく早く立ち直ってくれることを願いつつ、ゴルは部屋の入り口を指差す。
「ほらレトリ、あの入り口向かってゴーだ! 俺をおぶってさあ走れ! ヒュイゴー!」
胸を軽く小突かれる。
「もう、台無し。わたし犬じゃないんだよ」
しまった、言葉を間違えたか、とも一瞬思ったが。
身を離し、見せたレトリの顔には、呆れも覗くが、笑みが浮く。
「犬っぽいってだけでね」
次の瞬間それが、弾けるようなものへと変わった。
それで無理に涙を払い落とし、気丈に振る舞う姿が痛々しくも見えるが、しばらくは大丈夫そうに思え、ゴルは身を差し出す。
それで言葉にした通りのことをして貰おうとしたのだが、抱っこされることになった。
不満はあるが、顔には出さない。
「それはすまない。次からは気を付けよう」
「いいよ。励まそうとしてくれたみたいだし、ゴルくんらしいし」
レトリは駆けていく。
確かに今は、言われた通りと思っていた。
思い悩んで、足を止めている時などではない。
帰りを待つ人がいる。沢山いる。だから生きてここを出る。
持ち前の俊足が唸りを上げた。三階など一瞬だ。
即効、駆け抜け、階段も駆け下り、問題なのは、次に来る二階。
身構えてもいたのだが、あったはずの広大な荒野は消え失せ、何もないただ広いだけの部屋へと様変わりしており、不思議に思いつつも駆け抜けていく。
そうして着いた一階は、特段変わった様子もなく。
行きに感じたあの長さが、いまは厄介にも感じられたが、迷わされるような場所でもない。
走って、走って、走り続け、息も上がってきた頃、ようやく入り口が目に飛び込んでくる。
これで最後と、ラストスパートをかけた。
勢い落とさず、そのまま外へと飛び出し、階段もジャンプで一息に飛び越す。
両足を地面に着けると同時、衣服が戻って変身が解ける。
足が自然と止まるのを待って、振り返って、見上げた。
ラビリンスがその姿を薄れさせ、消えていく。
崩れ去るように思っていたのだが、違ったようだ。
「はぁ、はぁ……、やったね」
「マジでぎりぎりだったな……、が、くそ、いてぇ……」
「ゴルくん、無茶したもんね。無茶しすぎだよ」
「ああでもしなきゃ、勝てなかったろ」
「うん」
「ったく、なんだあの化け物。まさかボスにまで特殊個体がいるなんてことはないだろうな。初耳だぞ」
「でも二人だったから、戻ってこられた」
「……、そろそろ下ろしてくれないか。何言ってもこれじゃあな。カッコがつかないだろ」
「えー、どうしようかなぁ?」
冗談めかして言ったら、こめかみの所に怒りマークが浮くのが見え、レトリはすぐに従う。
腕から下ろすと、途端に尻を打っていた。
足からいったせいであり、ごめん、と言おうとしたのだが、手をかざされて、止められる。
うつ伏せの状態となって、ゴルは地面を這っていく。
向かっている場所は、入る時に投げ捨てていた杖の所だ。
すぐ傍にあり、掴んで、立って、こちらへ向き直ってくる。
「レトリ、お前は正しいことをした」
正面から受け止めるには、まだ勇気が足りず、顔が俯く。
垂れた前髪越しに、レトリはゴルを見ていた。
「最後に怨み言をいろいろ言われたがな、あんなのは逆怨みってやつだ。最初に仕掛けてきたのは、向こうだろ。死者の国から態々こっちへ出向いてきてな。俺らはただ自分達の住む世界を守っただけだ。違うか」
「そう──なのかな。でも巨人にも理由があって」
「誰かへの復讐か?」
「うん。そんな運命を与えた神に対しても」
「そっちは直接いけよって話だろ。繋がってんじゃないのか」
「冥府はずっと、地の底にあるみたいだから」
「なるほどな。天界、下界との位置関係を考えたら、ラビリンスには中継地点としての役割もあったと。その仮説が正しいかどうかはひとまず置いておくとして、だからと言って、まったく無関係な人間にまで迷惑かけてもいい理由にはならないだろ。死人が出るようなことしてたんだぞ」
「それは──、そうなんだけど」
「俺の勝ちでいいか?」
「なんか、それずるい。好きなだけわたしの話聞くとか言ってたのに」
「聞いてるだろ。結局お前は何が言いたい」
「わたしは、巨人もしたくてやったわけじゃくて、どうしようもない怨みがあったから、それでってことを言いたくて」
「俺はそれに対して客観的な事実を見ろって、あたまっから言ってるだろ」
杖をつき、ゴルは戻ってくる。
「いいか。巨人の方から悪さをしてきて、だから俺らは退治した」
「だから、それとこれとはみたいな、話聞いてよ」
思わず持ち上げた頭の上に手が乗った。
急にポンとされて、頭にあった言葉が、全部飛んだ。
「お前は何のためにここへ来たんだ。金儲けのためか」
「……、違うよ。鬱陶しいから手をどけて」
「じゃあ何の為だ。それ聞いてからだ」
「みんなのため、かな。わたしさ」
全部言う前に手が離れていく。
「傍の町に住んでるんだろ」
今まさに口にしようとしていたことを先に言われ、横を通り過ぎていく顔を、見開いた目で思わず見る。
「簡単な推理だろ。お前初心者なんだから。胸張って帰ればいいんだよ。ヒーローの顔してな」
すれ違いざま、向けてきた顔には、ニヒルな笑みが浮く。
顔を戻して立ち去っていく背を、しばらくの間、呆然と見ていたが、ハッと我に返ると、何も言わずに後を追った。
気付けば、辺りを包んでいた瘴気も大分薄れて、どこからか囀る小鳥の鳴き声が、耳に届く。
周りの枯れ果てた木々も、上から降るようになった柔らかな日差しに照らされ、血色づいたように映り、命の輝きを戻しつつあるように思えた。
「あー、マジ歩くのつれぇ……」
「また抱っこいる?」
「要らん!」
「言うと思った」
笑い声と共に、レトリの顔からも朗らかな笑みがこぼれ落ちる。
森に、春の陽気が戻りつつあった。
その裏、足元に伸びる影のように人知れずある闇の中で、林檎が放り上げられて、手に落ちて、また上がっては、落ちて。口に運ばれる。
一口齧って、吐き捨てられた。
「最高にまずいわね。あと少しだったっていうのに。邪魔な子。長生きできるとは思わないことね」
獰猛な赤い目が浮く。
その目が、深淵から覗きあげるように、傍を歩く少年を見ていた。