明日嫁ぐ私に、あなた何か言う事はないのかしら?〜お嬢様は黒豹騎士の本性を知らない〜
「ねぇ、クロード。私(わたくし)、明日嫁ぐのよ? 何か私に言う事はないのかしら?」

 私の問いにも、黒髪、黒い瞳の騎士は、真面目な表情を崩すことはない。
 久しぶりに見る彼は一段と逞しくなっていて、二年という歳月の長さを感じさせた。でも、私の胸の高鳴りは、二年経っても変わらない。

「何か……とは、何のことでしょうか? アンリエッタお嬢様」
 クロードは鋭い瞳でこちらを一瞥し、抑揚のない声で答える。
「それは、前にも言いましたでしょ? わ、私のことを……、どう思っているのかと……」
 私は長いブロンドの髪をくるくると指に巻きつけ、顔を伏せるが、その質問に対する返答はもらえなかった。

 
 彼、クロード・ベイトマンは二年前まで、私、アンリエッタ・ラザフォードの専属護衛騎士だった。
 出会いは八年前の私が十歳の時。父が私に護衛騎士を付けると言い、ラザフォード侯爵家の私設騎士団の訓練場に連れていってくれた。

 その中で一際目を引いたのは、黒髪の少年だった。
 身体はまだ華奢だったが、俊敏で、他の騎士に倒されても、何度でも、何度でも立ち向かっていく姿に目が離せなくなる。
 それがまだ騎士見習いの、十五歳のクロードだった。

「お父様、お願い! あの子がいいですわ!」

(ふふっ、お父様、困っていらっしゃったわ。でもお父様、私に甘いのですわ……)
 私の願いは叶い、クロードを専属の護衛騎士にすることに決まった。
 それからは、どこに行くにも一緒だった。

「クロード、あれを見て! 虹ですわよ!」
「お嬢様、馬車から身を乗り出すのをおやめください!」
 私を支える優しい手も。

「クロード、あなたも一緒にお茶にしましょう!」
「いえ、私は護衛ですのでお断りいたします」
「うぅ、たまにはいいじゃない……」
 唇を尖らせる私を見て、僅かに緩ませる口元も。
 
 私の心を捉えるには充分だった。
(でも、きっと、初めて会った時から、あなたに囚われていたのかもしれないわ……)

 
 十六歳の時、私の婚約が決まる。

「え、クロード……、護衛騎士を辞めるってどうして? これから、私たち……っ」
「申し訳ございません。王立騎士団へ正式に転籍が決定いたしましたので、本日が最後のお務めになります」
「そ、そんな……、クロードは、私のこと、どう思っていますの?」
 縋るように彼の黒い瞳を見つめるが、彼からは感情は読み取れない。

「……お世話になりました、お嬢様」
 それだけ言い残し、クロードは私の元を去っていった。


 
 ――それからの二年間は、私にとっては虚無の時間だった。

「明日、嫁ぐというのに……、何も言ってこないなんて……」

 明日の結婚式を迎えるために、屋敷内は慌ただしく準備が行われている。その中に、見知った顔を見つけ、私は駆け出した。

「――クロードっ! やっと会いに来てくれたの!? 私……っ」
「旦那様に用事がありましたので」
 相変わらず、素っ気ない態度だ。

「ちょっと、こちらに来てっ」
 私はクロードの腕を掴み、ぐいぐいと引っ張って自室へと連れていった。

 部屋の扉を閉めると、クロードへ向き直る。
「なんで、何の連絡もくれなかったんですの? 私、ずっと待っていたのに」
「申し訳ございません。少々立て込んでおりまして」

「……ねぇ、クロード。私、明日嫁ぐのよ? 何か私に言う事はないのかしら?」
「何か……とは、何のことでしょうか? アンリエッタお嬢様」
「それは、前にも言いましたでしょ? わ、私のことを……、どう思っているのかと……」

 握りしめた手が震えてくるのが分かる。
「……やっぱり、嫌だった……のよね、クロード」
「お嬢様?」

「私が勝手に、結婚を決めちゃったから……っ」

 ボロボロと瞳から涙が流れ落ちる。


「うっ、……わ、わたくしがっ、クロードと、結婚したいって、お父様に頼んだからっ、こ、断れなかっただけなんでしょ……っ、う……っ」

 クロードは別に私となんて、結婚したいとは思ってなかった。主人に頼まれれば断ることなんてできない。

 好きだと言ったのも、私から。結婚したいと伝えたのも、みんな私。クロードからはいっさい、気持ちは伝えられなかった。

(断れなかった。こんなこと当然なのに、どうして気付かなかったの……? だから二年前、私から離れたのよね……。……私との結婚がクロードの重荷になるのなら、私は……)
 

「……クロード、ごめんなさい……。結婚を取り止めましょう……っ」

(今からでも、クロードを解放させてあげますわ……)

 結婚も、彼への思いも全てを終わらせる、そう決めて顔を上げた瞬間、手首を乱暴に掴まれる。そして、引き寄せられた。

「えっ、な……っ!?」

 驚いたのも束の間、私の唇はクロードの唇によって塞がれていた。

「……っ、く……っ」
 いつも冷静なクロードとは思えないほど、熱く余裕のない口づけだった。
 やっと唇が離され、私は呼吸を整える。

「く、クロード……、ど、して……?」

「……取り止めなんてさせない。私があなたを手に入れるために、どれだけ苦労したのか、あなたには分からないでしょう?」

「え……?」
 クロードは顔を歪ませる。

「二年前にあなたとの結婚が決まった時、旦那様から言われたんです。『娘と結婚したいのならば、それ相応の功績を挙げろ。でなければ、結婚は白紙に戻す』と」

「えっ!?」
(お父様! そんな話は聞いていないですわよっ!)

「私は王立騎士団へ移り、日々血の滲むような訓練をし、前線で戦い、数々の功績を挙げてきました。そして、やっとの思いで爵位を賜ったのです。……それなのに、結婚を取り止めるなんて、私は許しません」

 クロードから初めて語られる真実に、私は唖然として彼の顔を見つめていた。

(そんなことがあったなんて……、し、信じられませんわ……)

「もし、クロードが爵位を賜らなかったら、結婚式の準備は進んでいたというのに、お父様はどうするおつもりだったの……?」
 私は疑問を投げかける。

「旦那様はこの結婚を白紙にして、代わりの花婿を連れてくる予定だったんですよ。あなたを手に入れたい輩はたくさんいますから」
 衝撃の事実に思わず声を上げた。

「え! それは絶対に嫌ですわっ!」
「そんなこと、絶対にさせません。ほら、実際、大丈夫でしたでしょ?」
「そ、そうね……」
 
 よく見ると、彼の頬には二年前にはなかった傷跡が残っていた。思わず彼の頰に、手を伸ばす。
(こんな傷を付けてまで、私のために頑張ってくれたの……? ……それって)

「それって、クロードも、私と結婚したかった……ということかしら……?」
「当然でしょう。私は、お嬢様に護衛に選んでいただいた八年前から、ずっとお慕いしておりました」

 クロードは私の伸ばした手を、ぎゅっと握った。彼の熱が伝わってくる。初めて聞く彼の本心に、胸が震える。

「クロード……、ありがとう。私もよ」
「お嬢様……」

「ねぇ、……名前で呼んでほしいですわ」
 私がクロードに頼むと、彼は一瞬目を見開いて、それから囁くように名前を呼んでくれた。

「……アンリエッタ」

 嬉しくて笑みがこぼれる。好きな人に名前を呼んでもらえるだけで、こんなに全身が満たされるとは思わなかった。

「ふふっ、愛してるわ、クロード」
 私はクロードの胸に飛び込む。

「アンリエッタ」
 再び名前を呼ばれて顔を上げると、彼の顔が近づいてきて、私は目を閉じた。

「アンリエッタ……、愛しています」

 愛の告白が吐息と共にこぼれ、私の唇に触れた。

 私を抱きしめる腕に力が込められる。
 息を吸う隙さえ与えられず、何度も重なる唇。
「……っ」
 それはまるで捕食されるかのような激しさで、だんだんと怖さを感じ始める。

 クロードの胸を押し返すと、やっとの思いで声を出した。
「ちょっ……クロード、ど、どうしたの……っ」

 クロードはふうっと熱い息を漏らし、冷ややかな瞳をスッと細める。

「私を煽るからいけないんです。――ずっと我慢してきたのに、……お嬢様の責任ですよ?」
 
 上から私を見下ろして舌舐めずりする仕草に、ゾクリと背筋が凍る。

(こんなクロード、……見たことないですわ……)

 
「――ふっ、明日からが楽しみですね、俺のお嬢様?」


 そう言って微笑む彼は、一度狙った獲物は逃さない、獰猛な黒豹のようだった――。
   
 
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