あと30日で、他人に戻るふたり
パソコンを立ち上げて、いつも通りの業務に取りかかる。


メールの返信、資料の修正、社内チャットの通知。
手は動いているのに、頭の中はまったく別のところにあった。


彼のことを考えないようにしても、ふとした瞬間に勝手に浮かんでくる。

────厄介だ。

キーを打つ指が、ほんの少しだけ止まった。


帰ったらどんな顔で会えばいいの。
すっかり意識を持っていかれそうになり、これではいけないと首を振る。


「穂村」

ふと呼ばれて顔を上げると、八代さんが立っていた。

相変わらずの、整った出で立ち。
昨日は私と同じで帰った時間は遅いはずなのに、そんな気配は微塵も感じさせない。


「昨日はありがとな」

「あ、いえ……こちらこそ。ありがとうございました」

できる返事は、このくらいしか思い浮かばなくて。
なにか言葉を続けるべきか迷う。

そのうち、先に八代さんがちょっと怪訝そうに私の顔を覗き込んできた。

「なんか、顔色悪くない?」

「え、そうですか?」

「昨日飲みすぎた?」

いや、そんなはずはない。
飲んだけれど酔ったわけでもないし、今朝の目覚めもお酒が残っている感じはしなかった。

「大丈夫です」

それだけ返すと、彼はふっと微笑んだ。

「ま、無理すんなよ。つらい時はちゃんと甘えないとな」

「……はい」


────やっぱり、違和感。

そのせいで、それ以上なにも続かなかった。


また画面に視線を戻す。


昨日まで普通に話していたはずなのに、どうしてか少しだけ距離ができた気がした。
いや、昨日の時点でもちょっと引っ掛かりがあったのは、自分でもどこか分かっていた。

今はただ、ちゃんとした気持ちが浮かんでいる。


憧れていたはずなのに。浮かれていたはずなのに。
今はもう、“それ”じゃない。

小さく息を吐いて、呼吸を整えるだけで精一杯だった。




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