あと30日で、他人に戻るふたり
ドアを開けると、静かな部屋が迎えてくる。


真っ暗な玄関と廊下。
その向こう側のリビングからは、明かりもないし物音もなにもしない。


……まだ帰ってきてない。

分かっていたはずなのに、ほんの少しだけ物足りない気がして、すぐに首を振った。


「……よし」

リビングの電気をつけたらすぐにバッグを置いて、そのままキッチンへ向かう。


冷蔵庫から玉ねぎ、卵と鶏肉を取り出す。今日は簡単に親子丼。

炊飯器にお米をセットしたあと、玉ねぎを刻んで、だしを温めて、鶏肉を入れて。
最後に、卵を割る。


白身と黄身が混ざっていくのを見ていたら、ふと朝の光景がよぎった。

白いワイシャツ。青いネクタイに、細身のスラックス。

……なんなんだろう、このざらついた気持ち。


手が止まりかけて、慌ててまた箸を動かす。

考えない。考えない。考えない。
ひたすら心の中で連呼する。


そのとき、玄関の鍵が開く音がした。
足音がすぐさまこちらへ向かってやってくるのが聞こえる。

「ただいま」

と大地さんの声とともにリビングのドアが開く。

今日は思っていたよりも早く帰ってきたな、と思いながら顔を上げた。

「おかえりなさ──」

言葉が途中で止まる。


……当たり前だけど、また、スーツ。
────なんで朝より破壊力上がってるの。


形容しがたい感情に顔をしかめていると、大地さんがソファに鞄をどさっと下ろして腕時計を外しながらこちらを見やる。

「……なに。どうしたの」

「……なんでもないです」

これだけ挙動不審で、なんでもないわけがない。
でも説明できる気もしない。


「ご飯ちょうどできたところです」

なるべく彼を見ないようにしているというのに、自然に彼がキッチンに踏み込んできた。

「助かるー。腹減った。今日はなに?」

ついと横目で見たら、スーツのままでいるではないか!
なんで!脱がないの!

「……ちょっと」

「ん?」

「それ、まだ着てるんですか?」

「着替えるのめんどい」

「脱ぐだけじゃないですか!簡単でしょ!」


こんなことに噛みついてくるなんて思っていなかったんだろう。私も自分の言動に戸惑っている。

それでももうそんな感情に構ってもいられず、距離を詰めた。

「もうっ!いいから貸してください!」

「なにを?」

「上着です!」

「いや、それくらい自分で脱ぐけど」


口ではそう言ってるくせに、全然動かない。

むしろ、そんなのどうでもよさそうに私の手元にある親子丼を食い入るように見つめていた。
やつは今、食欲にすべてを持ってかれている。


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