あと30日で、他人に戻るふたり
上昇するエレベーターの中で、どこのお店がオススメだとか、美味しかったのに閉店してしまったお店の話を色々話す。

まだ引っ越してきたばかりの私は、ただただ聞き役で。
篠原さんの楽しそうな顔を見るだけでも、仕事の疲れが取れるような気持ちがした。

こうしてニコニコ笑っている奥様が家にいたら、篠原さんの旦那さんも楽しいんじゃないかな。

私、彼女みたいに笑顔で大地さんを迎え入れてたっけ。
もしかしたら、癒しにはなれてなかったかもしれない。


「あなたたち、いつ見ても仲良さそうで微笑ましいわ。見てるとなんだかほっとする」

篠原さんは深い意味なんてなく言った言葉なんだと思う。

それでも、開いたエレベーターのドアからすぐに出られないくらいには私に衝撃を与えた。
その場からなかなか動けないほどには。


「藍沢さん?」

あちらは先にエレベーターを降りて、私が後ろからついてこないことに気づいて首をかしげながらこちらを見る。

「……私たちって、仲良さそうに見えますか?」

「やぁねぇ、見えるっていうか、仲良しでしょ?」


外からは、そんなふうに見えるのか。

もう間もなく彼はここからいなくなってしまうのに。
他の人から見たら私たちは、“普通の二人暮ししている若い夫婦”なんだ。

なにも言葉を返せないまま、私は篠原さんと部屋の前まで進む。

「藍沢さんちの夕飯は?何にするの?」

私がなにも言わないからか、篠原さんが鍵を取り出しながら尋ねてくる。

「……焼きうどん、とかですかね」

「いいわね。具だくさんにするとボリューム出るし」

「はい」

「じゃあ、またね」


彼女はエコバッグを肩にかけ直して、私に手を振って手前の部屋へと入っていった。


彼女の部屋のドアが閉まる音を聞きながら、私はしばらく自分の部屋の前で立ち尽くしていた。

焼きうどん。
そんなことを口では言ったけれど、冷蔵庫に何があったかなんて、もう思い出せない。

篠原さんに言われた言葉ばかりが、頭の中をゆっくり巡っている。


──“仲良しでしょ?”

もしも本当に、そうだったら。
鍵を握ったまま、小さく息を吐く。


このドアの向こうには、きっともう“帰る場所みたいな人”がいる。

なのにあと数日で、それがなくなる。


胸の奥がじわりと痛むのを感じながら、私はゆっくり鍵を差し込んだ。



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