彼と彼女の、最大の不具合
仕事を終えて退勤の時間になると、春特有のまだ少し冷たいけれど、どこかやわらかい風が頬をかすめていった。
そのまま歩いて向かうのは、会社から徒歩10分ほどの場所にある『個室居酒屋 ひととき』。ここはもう、右京くんとのいつもの待ち合わせ場所になっていて、特別な約束をしなくても自然と足が向いてしまう場所だった。
私よりも退勤が早かったはずだから、きっと彼はもう中にいるだろうと分かっていても、暖簾をくぐる瞬間は毎回少しだけ胸が高鳴る。
店内に入った瞬間、「いらっしゃい!」と大将の威勢のいい声が響いて、ほっとするような居酒屋独特の空気に包まれる。
その声に混じって、視線を向けると正面のカウンター席に右京くんの姿があって、こちらに気づいた瞬間ふわりと手を振ってくれていた。
「ごめんね、待った?」
「いや、今頼んだとこ。ビールでよかった?」
「うん。ありがと~」
席に座る前にコートを脱ぐと、右京くんはそれを当たり前のように受け取ってくれて、慣れた手つきでハンガーへとかけてくれる。
「ありがとう」
小さく言うと、彼は軽くうなずくだけで何も言わないのに、優しさはちゃんと伝わってくる。
私のコートは毎回必ず彼の手によって丁寧にハンガーにかけられていて、そのたびに「この人、本当に優しいな」と思ってしまう。