彼と彼女の、最大の不具合
仕事が終わって、退勤時間になる。
パソコンの電源を切って、ふと視線を斜め前に向けると、香坂がまだ真剣な顔でデータを打ち込んでいた。
オフィスフロアには、わずかなキーボード音と、試作品の香料が混ざったような微かな匂いだけが漂っている。
「(……俺との予定、忘れたわけじゃないよな?)」
頬杖をつきながらその背中を見ていると、ふいに香坂がこちらを向き、目が合った瞬間、まるで何かに気付いたようにすぐ視線を逸らされたので、ため息をひとつ吐いてから荷物を持って立ち上がる。
「香坂」
名前を呼ぶと、肩がびくりと跳ねる。
「…っはい」
「まだ終わんないの?」
デスクのそばに歩み寄り、無意識に机へ手をつくと、香坂は相変わらず画面から目を離さない。まるで俺と向き合うのを避けているみたいで、それが余計に気に食わない。
椅子の背もたれを掴んで軽く引くと、香坂の身体は否応なくこちらへ向く形になる。
「まって、すぐ終わらせるからっ…」
「だめ、今日はもう終わって」
強めに言い切ると、香坂は一瞬だけこちらの顔を見て、何か言いかけてから、結局諦めたようにパソコンの電源を落とした。
「なに怒ってるの?」
「怒ってないけど?」
即答する自分の声が、明らかに不機嫌なのは分かっている。
ほんとは無性にイライラしている。仕事中ずっと気にしていた約束も、目を合わせない態度も、全部まとめて喉の奥に引っかかっているようで落ち着かない。