彼と彼女の、最大の不具合
「ねぇ…ちょっと右京くん?」
ふいに、すぐ隣から名前を呼ばれて、顔を上げた。視線を横に向けると、そこに立っていたのはやっぱり香坂で、いつものきりっとした表情のはずなのに、どこか落ち着かない空気をまとっているように見えて、ほんの一瞬だけ胸がざわついた。
「なに?」
できるだけいつも通り、返事をする。でも本当は、今はそれどころじゃなかった。
頭の奥にひっかかっている、昨日の記憶の空白がずっと気になっていて、集中なんて全然できていなかったからだ。
「その資料、いつも戻してって言ってるよね?」
少しだけ咎めるような声色。ああ、またやったか、と内心で舌打ちしながら、「あー、悪い」と軽く謝る。
香坂の顔をまともに見ないまま、デスクの上に置きっぱなしだったファイルを手に取って差し出す。
でも、受け取ったはずの香坂はその場から動こうとしない。それどころか、まだ何か言いたげにそこに立っている気配がして、なんとなく落ち着かなくなる。
「あと、マーケに提出する資料できてる?」
追い打ちみたいな確認。ちらっと見ると、相変わらず眉間にしわが寄っていて、いかにも仕事モードの顔だ。
「できてるって。香坂のほうこそ、リニューアルする日焼け止めのデータ整理、ちゃんと終わってんの?」
少しだけ意地悪く言い返すと、香坂の表情がぴくっと動いて、わかりやすくムッとした顔になる。
「…なんなの?」
思わずため息まじりにそう問いかけると、次の瞬間、予想もしなかった変化が目の前で起きた。香坂の瞳が、じわっと潤みはじめたのだ。しかも、みるみるうちに頬まで赤くなっていく。