彼と彼女の、最大の不具合
「香坂さん」
不意に名前を呼ばれて、びくっと肩が跳ねる。
「山口、どうしたの?」
振り向くと、山口は少しだけ間を置いてから、顎に手を当てて考えるような仕草をした。
「今日、飲みに行きません?」
「……それは、みんなで?」
反射的にそう聞き返すと、山口はあっさり首を横に振った。
「ふたりで」
周りを見ると、研究員たちは白衣を脱ぎながら次々とラボを出ていくところだった。一番後ろを歩いている右京くんが、ふとこちらを振り返る。その視線に気づいた瞬間、反射的に肩が跳ねて、慌てて目を逸らす。
何も悪いことをしていないのに、なんで逸らしちゃったの!?
「いいよ。久しぶりに行こうか」
できるだけ何でもないふりをして返す。大学時代も、山口とはよくふたりで飲みに行っていた。研究の話をしながら、くだらないことで笑って、気づけば終電ギリギリになっていたこともあった。あの頃の延長線みたいなものだと思えば、特に変なことでもない。
「いいんすか?右京さん、怒りません?」
山口が少しだけ声を潜める。
「なんで右京くん?」
思わず聞き返すと、「え?」と山口が目を瞬かせた。
「付き合ってるんじゃないんすか?」
その一言に、今度はこっちが固まった。
「なにそれ!?誰が言ってたの!?」
「いや、誰っていうか…そういう雰囲気だったんで」
「(未だに、私の片思いですけど!?)」
心の中で叫びながらも、顔には出せない。そんなふうに見えてるのか、と驚く気持ちと、ほんの少しだけ嬉しい気持ちが混ざって、複雑に絡まる。
そう見えるくらいには、そういう瞬間があったんだろうか。入口のほうを見ると、もうほとんど人はいなかった。さっきまでいた右京くんの姿も、いつの間にか消えている。
「香坂さん、俺の連絡先消してたりしないっすよね?」
「消してないと思うけど…」
「じゃあ、また連絡します」
軽く手を振って、山口はラボを出ていく。その背中を見送りながら、ひとり残された空間にふっと静けさが落ちる。
「(……右京くん、怒りません?)」
さっきの山口の言葉が、なぜか頭の中でだけやけに鮮明に響いていた。怒る理由なんてないはずなのに…。
そうだよね?右京くん。