恋から逃げるのには理由(わけ)があって
「太陽くん、やだ、嘘でしょ、ねえ」

彼の体を抱きとめようとして、手が滑った。
赤い。
手のひらが赤く染まる。

こんな色を、私は知らない。

知らないはずなのに、目の前にある。

「救急車……誰か、救急車!」

叫んだ声は、裂けていた。

誰かが電話している。
誰かが男を取り押さえている。
足音。
悲鳴。
雨上がりの匂い。
鉄みたいな匂い。

太陽は私の腕の中で、浅く息をしていた。

「向日葵」

「しゃべらないで。お願い、しゃべらないで」

「怪我、ない?」

こんな時まで。

私は泣きながら首を振った。

「ない。ないよ。太陽くんが庇ったから。だから、もう大丈夫だから。ねえ、救急車来るから。絶対大丈夫だから」

大丈夫。

また、その言葉を言った。
何の力もない言葉を。

太陽の指が、私の手に触れた。
弱い。
あんなにあたたかくて、いつも私を包んでくれた手が、信じられないくらい弱い。

「よかった」

「よくない!」

私は叫んだ。

「全然よくない! 何で、何で庇ったの。逃げてよ。太陽くんは、逃げてよ!」

太陽は、かすかに笑った。

「無理だ」

その声が、あまりにも太陽らしくて、胸が壊れそうになった。

「向日葵を、守りたかった」

「守らなくていい! 私なんか守らなくていいから、生きてよ!」

その言葉を叫んだ瞬間、病室の白い天井が頭の中で重なった。
< 107 / 179 >

この作品をシェア

pagetop