恋から逃げるのには理由(わけ)があって
生きてよ。
私のために。

あの日、泣きながら叫んだ言葉。

太陽は生きてくれた。
15年かけて、王子様になって、私のところへ来てくれた。

なのに。

なのに、どうして。

「お願い、太陽くん。生きて。ねえ、私のために生きてよ。今度も、生きてよ……!」

太陽の目が、少しだけ揺れた。

「向日葵」

彼は息をするのも苦しそうだった。
それでも、私を見ていた。

「俺……君と、結婚できて、よかった」

「やめて」

「幸せだった」

「やめてってば!」

聞きたくなかった。
そんな言葉は、最後みたいだった。
最後にしないでほしかった。

私は彼の手を握りしめた。
手が震える。
血で滑る。
それでも離さなかった。

「まだ帰ってない。家に帰るの。太陽くん、おかえりって言うから。私、ただいまって言うから。冷蔵庫にみかんゼリーあるし、卵もあるし、親子丼だってまた作るから」

太陽の唇が、ほんの少し動いた。

「……食べたい」

「作るよ。作るから。だから帰ろう。ねえ、帰ろうよ」

遠くからサイレンが聞こえた。

近づいてくる。
赤い光が、濡れた地面に滲む。

助かる。
助かるはずだ。
救急車が来たら、病院に行って、治療して、また帰ってこられる。

そう信じようとした。

けれど、太陽の指から力が抜けていく。

「太陽くん?」

返事がなかった。

「太陽くん」

呼ぶ。
呼ぶ。
何度も呼ぶ。

彼のまつげが震えた。

最後に、彼は私を見た。

子どものころの病室で見たみたいな、やさしい目だった。
王子様になって迎えに来た夜と同じ、まっすぐな目だった。
家で「ただいま」と言う時と同じ、私だけに向けるあたたかい目だった。

「向日葵……生きて」

小さな声だった。

それが、最後だった。

太陽の手が、私の手の中で静かに重くなった。
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