恋から逃げるのには理由(わけ)があって
昼休み、給湯室の前を通った瞬間、同僚たちの声が聞こえた。

「見た? 朝比奈絵里奈の投稿」

「見た見た。あれ、絶対匂わせだよね」

「大空太陽と付き合ってるって噂、本当なのかな」

足が止まった。

大空太陽。

心臓が、会社員として不適切な跳ね方をした。

私は何食わぬ顔で給湯室に入り、マグカップにお湯を注いだ。

同僚の一人がスマホをこちらに向けた。

「風早さんも見る? これ、すごくない?」

見ない。
見ないほうがいい。

そう思ったのに、目は勝手に画面へ吸い寄せられた。

投稿していたのは、朝比奈絵里奈。

ここ一年で一気に人気が出た、今いちばん勢いのある清純派若手女優。
透明感という言葉が服を着て歩いているみたいな人で、洗剤のCMでは白いワンピースで笑い、青春映画では泣き顔だけで観客を泣かせ、バラエティでは天然っぽいのに受け答えが妙に強い。

つまり、画面越しに見ても戦闘力が高い。

その朝比奈絵里奈が、太陽の主演映画のアンバサダーに就任したらしい。

投稿の写真は、薄暗い控室のテーブルだった。
二つの紙コップ。
一冊の台本。
片方のコップには、手書きで「E」と書かれている。
もう片方には「T」。

そして台本の端に、男の長い指が映っていた。

顔はない。
けれど、白い衣装の袖口が映っている。
金色の刺繍。
あの王子様の衣装。

見間違えるはずがない。

太陽の手だ。

朝比奈絵里奈の細い指が、同じ台本の反対側に添えられている。
触れてはいない。
でも、近い。
写真としては、絶妙に近い。

キャプションには、こうあった。

『世界で一番まぶしい王子様と、夜まで打ち合わせ。隣にいるだけであったかい人。作品をもっと好きになってもらえるよう、アンバサダーとして頑張ります』

最後に、太陽の絵文字と白い花の絵文字。

「これさ、仕事の投稿にしては距離近くない?」

「太陽くんって今まで共演者と匂わせとか全然なかったよね」

「朝比奈絵里奈ならありえるよ。清純派同士って感じ」

清純派同士。

私は自分のマグカップを見た。
中身はインスタントコーヒー。
しかも粉を入れすぎて黒い。

清純派から最も遠い液体である。
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