恋から逃げるのには理由(わけ)があって
――会社でも、私は少しだけ変だった。
いや、少しだけではないかもしれない。

昼休みの給湯室では、また芸能ニュースが飛び交っていた。

「昨日の特番、見た?」

「見た見た。太陽くん、めちゃくちゃ綺麗だった」

「絵里奈ちゃんも可愛かったよね。あの二人、画面の相性よすぎ」

私はマグカップにお湯を注ぎながら、心の中で耳栓をした。

聞かない。
聞いていない。
私は今、インスタント味噌汁の具が底に沈まないよう全力で集中している。
人間、味噌汁のわかめに精神を集中すれば、芸能ニュースなど聞こえないはずだ。

「風早さん、昨日の特番見ました?」

同僚が悪気なく聞いてきた。

わかめ、敗北。

「見てないです」

私はできるだけ自然に答えた。

「最近忙しくて」

嘘ではない。
忙しい。主に心が。

「えー、もったいない。今夜、生放送もあるんですよ。映画の番宣で。太陽くんと絵里奈ちゃん、二人で出るんですって」

「へえ」

口から出た声が、自分でもびっくりするほど平坦だった。
会社員としては合格。元妻としては不合格。いや、元妻ではない。今の人生では妻になっていない。ややこしい。戸籍は清廉潔白である。

「生放送って、何時ですか」

聞いたのは私ではない。

志村だった。

彼は紙コップを片手に、いつもの穏やかな顔で立っている。
同僚が嬉しそうに答えた。

「二十時から、生放送だよ。トークもあるし、主題歌の初披露もあるって」

「そうなんですね」

志村は相槌を打った。

私は味噌汁を持ち上げて「私は見ません」と、誰に言うでもなく宣言した。

同僚が笑う。

「風早さん、そう言って絶対見るタイプですよね」

「見ません。私は今夜、洗濯物を畳むという重大任務があります」

「テレビつけながら畳めますよ」

「それは洗濯物に失礼です」

志村が口元を隠すように紙コップを持ち上げた。

笑ったな。

私は、全然笑えないけど。
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