恋から逃げるのには理由(わけ)があって
廊下に出た銀色のスーツケースが、朝の光を反射した。
その光が、私の部屋の中に一瞬だけ入り込む。

まぶしい。
痛いくらいに。

「向日葵」

「何ですか」

「俺は、ちゃんと待つ。でも、近くにいる」

その言葉を残して、太陽は廊下を歩いていった。

がらがらと、スーツケースの車輪の音が遠ざかる。

私はドアを閉め、鍵とチェーンをかけた。

なのに、もう安全な気がしなかった。

駅前の高級マンション。
徒歩数分。
地下駐車場。
コンシェルジュ。
彼の人脈と財力と、あきれるほどの行動力。

私が閉めたドアの外で、太陽は新しい居場所を手に入れてしまった。
私の生活から遠ざけるはずだった人が、私の生活の端に、勝手に線を引いた。

逃げ場が、ひとつ減った。

私は冷たいドアに額をつけた。
昨日と同じ姿勢なのに、今日はドア一枚では足りない気がした。

だって、彼は私のすぐ近くにいる。

胸の奥で、恐怖と、懐かしさと、どうしようもない痛みが混ざる。

声にならない声で、私は閉じたドアに向かって言った。

「あなたを受け入れるわけにはいかない。だって、私はあなたが死ぬことを知っているから」
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