恋から逃げるのには理由(わけ)があって
太陽は私の隣に立ち、観客の前で深く息を吸った。

「彼女は、俺が王子様になりたかった理由です」

仕事用の「僕」ではなく、私の知っている「俺」だった。

会場が静まり返る。

太陽はジャケットの内ポケットから、小さな指輪の箱を取り出した。
黒いベルベットの、掌に収まる箱。

それは王冠でも宝石箱でもない。
けれど、15年分の約束と、二度の人生と、変えた未来の全部を乗せているみたいに見えた。

太陽は片膝をついた。

客席から息を呑む音が広がる。
フラッシュが瞬く。

「一度目は、君の部屋の前で言った。二度目も、同じ場所で言った。でも今度は」

太陽は私を見上げた。

「君が自分の足でこの舞台まで上がって来てくれたから、俺はみんなの前で、もう一度ちゃんと言う」

箱が開く。
小さな指輪が、ステージの光を受けて静かに輝いた。

太陽は、観客の前で言った。

「結婚してください」

世界が、止まった。

一度目の玄関。
半額シールつきの冷やし中華。
王子姿の太陽。
「結婚しよう」と言った声。

二度目の玄関。
チェーン越しに拒んだ私。
ドアの向こうで、それでも諦めなかった太陽。

そして今。
赤い回転灯ではなく、祝福の光の中で。
隠れた部屋ではなく、たくさんの人の前で。
太陽は生きて、私に手を差し出している。

涙が落ちる寸前で、私は笑った。

「……はい」

言った瞬間、劇場が割れそうな拍手に包まれた。
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