恋から逃げるのには理由(わけ)があって
太陽の表情が、ゆっくりほどける。
その笑顔を見たら、今度こそ涙がこぼれそうになった。
でも、私は笑った。
泣くより先に、この人に笑って返したかった。

太陽が立ち上がり、震える指で私の左手に指輪を通した。

「太陽くん、手が震えてる」

「仕方ない。人生で一番緊張してる」

「世界的俳優でも?」

「向日葵の返事待ちには勝てない」

マイクが拾っていたらしく、客席がどっと笑った。
私の顔が一気に熱くなる。

司会者が涙目でマイクを差し出してきた。
なぜあなたが泣きそうなのですか。私の涙腺より仕事熱心で困る。

私はマイクを受け取った。

「えっと……明日の出社が、今からものすごく怖いです」

会場がまた笑った。

笑い声に助けられて、私は息を吸った。

「でも、もう隠れるためにここへ来たわけじゃありません。私は、この人に守られるだけじゃなくて、隣で一緒に歩きたいです」

太陽の手が、私の手を強く握った。

「怖いこともあります。でも、逃げているだけでは変えられないことがあると、教えてもらいました」

私は太陽を見た。

「だから、これからは一緒に生きます」

生きる。

その言葉が、胸の中で光った。

あの日、病室で泣きながら言った「生きて」。
一度目の夜、彼が最後に残した「生きて」。
その二つが、ようやく悲しみだけではない言葉になった気がした。

拍手がまた大きくなる。

太陽は観客へ向き直り、深く頭を下げた。
私も隣で頭を下げた。

フラッシュが降る。
けれどそれは、私を追い詰める光ではなかった。

顔を上げると、太陽が私を見ていた。
世界中に向ける王子様の笑顔ではなく、私だけに向ける、少し泣きそうで、どうしようもなく幸せそうな笑顔。

私はその笑顔に、同じだけ笑って返した。

王子様は、迎えに来てくれるだけの人じゃない。
隣で歩き、時々転びそうな私を見守り、必要なら一緒に立ち止まってくれる人だ。

そして私も、もう待っているだけの女の子ではない。

光の中で、太陽の手を握る。
指輪は家の中だけの秘密ではなく、たくさんの拍手の中で私の左手にあった。

今度こそ、私は太陽の隣で、もう逃げない。
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