恋から逃げるのには理由(わけ)があって
――夕方。

私は洗った保存容器を紙袋に入れ、駅前の高級マンションへ向かった。
ついでに買い物もする予定だった。卵と牛乳、洗剤とトイレットペーパー。生活は待ってくれない。

コンシェルジュに保存容器を預けて帰る。
完璧な作戦だった。

「すみません、こちらを大空さんに――」

「向日葵」

作戦、秒で崩壊。

背後から聞こえた声に、私は紙袋を抱えたまま固まった。
振り返ると、黒いキャップにマスク、グレーのパーカー姿の太陽が立っていた。隠しているのに、存在感がだだ漏れである。

「……偶然ですね」

「うん。ちょうど下りてきた」

「私は帰ります」

「容器、ありがとう。食べた?」

「……食べました」

「よかった」

また、その顔。
無防備に嬉しそうな顔をしないでほしい。借りた容器を返しただけである。

「じゃあ、失礼します」

私は素早く踵を返した。

「買い物?」

太陽の声が追ってくる。

「違います」

「エコバッグ、見えてる」

「これは……護身用です」

「何から守るの」

「主にあなたから」

太陽は小さく笑った。
笑うな。こっちは真剣だ。

「俺も行く」

「行かない」

「洗剤を買いたい」

「高級マンションには備え付けの洗剤くらいありそうです」

「ある。でも違うのを買いたい」

「ネット通販という文明があります」

「向日葵の荷物、重くなりそうだから」

「大丈夫です。私は現代を生きる成人女性なので、卵と洗剤くらい持てます」

私は早足にロビーを出た。
すると、隣に気配が並んだ。

「太陽くん」

「うん」

「もしかして、ついてきています?」

「買い物についてきてる」

「堂々と認めるな」

「嫌なら帰る」

そう言って、太陽は本当に足を止めた。

ずるい。
強引に近づいてくるくせに、本気で拒む線の手前ではちゃんと止まる。だから悪者にできない。

「……三歩後ろ」

「うん」

「会話は必要最低限。結婚の話は禁止」

「努力する」

「また信用の薄い努力が出た」

私が歩き出すと、太陽は本当に三歩後ろを歩いた。
長身の世界的俳優が、商店街で忠犬みたいについてくる。絵面が強すぎる。
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