恋から逃げるのには理由(わけ)があって

第2話 壁ドンってフィクションじゃなかったの?

「向日葵」

ドアの向こうから、もう一度、名前を呼ばれた。

低くて、静かで、よく通る声。
映画館の大きなスクリーン越しに聞いたことのある声なのに、今は私の玄関ドア一枚ぶんの距離にある。

近い。
現実が近い。
近すぎる。

「……帰ってください」

私はドア越しに言った。
自分でもびっくりするくらい、声が固かった。

向こうで、太陽くんが小さく息を吐く気配がした。

「五分でいい。話を聞いてほしい」

「五分で結婚の話をされても困ります」

「じゃあ十分」

「時間の問題じゃないです」

「向日葵」

「その呼び方、やめてください」

口に出した瞬間、自分の胸がちくりと痛んだ。

昔は、その呼び方が好きだった。
太陽が私を呼ぶ声は、いつだって明るくて、あたたかくて、まるで本当に太陽みたいだったから。

でも今はだめだ。
その声で足を止めたら、私はまた同じ場所へ戻ってしまう。

「……ごめん」

ドアの向こうで、彼の声が少しだけ落ちた。

謝られると困る。
強引に来たくせに、ちゃんと傷ついた声を出さないでほしい。こっちが悪いみたいになる。いや実際、ドアの前で結婚を申し込まれて締め出している女ではあるのだが。

でも、無理なものは無理だ。

「本当に帰ってください。近所迷惑になります」

「迷惑はかけない」

「すでに王子姿の時点で迷惑です」

「これは仕事の衣装で」

「説明しなくていいです」
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