恋から逃げるのには理由(わけ)があって
太陽は私の足元を見て、静かに言った。

「昔も、よく転びそうになってた」

「子どものころの話を持ち出すのは禁止です」

「覚えてる?大きくなったら結婚しようって言ったこと」

息が止まった。

商店街のざわめきが、遠くなる。
夕方の匂いも、レジ袋の音も、どこか遠くへ引いていく。

覚えている。

小学校の帰り道。
ランドセル。
夏の終わりの夕焼け。
転んで膝をすりむいた私に、太陽がハンカチを当ててくれたこと。
泣きながら「王子様みたい」と言った私に、彼が少し照れた顔で笑ったこと。

大きくなったら、結婚しよう。

子どもの約束。
普通なら成長する途中でどこかに落としていくはずの言葉。
なのに、目の前の男は、それを落とさなかった。

「俺は覚えてる」

「……忘れてください」

「忘れられなかった」

太陽の声は静かだった。
洗剤の袋を持ったまま言うには、あまりにもまっすぐすぎた。

「まだ君が好き」

胸の奥を、何かが叩いた。
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