恋から逃げるのには理由(わけ)があって
でも、次の瞬間には、体の奥から黒いものがせり上がってきた。

無理だ。

俺は起き上がることもできない。
廊下まで歩くだけで息が切れる。
春まで生きられるかもわからない。

王子様どころか、明日の朝さえ約束できない。

「……もう、疲れた」

気づいた時には、声が出ていた。

向日葵の笑顔が止まった。

「太陽くん?」

「痛いのも、苦しいのも、もう嫌だ。母さんが泣くのも、向日葵が無理に笑うのも嫌だ」

喉が震えた。
言ってはいけない言葉だと、わかっていた。
それでも止まらなかった。

「死にたい」

病室の空気が、凍った。

向日葵の目から、涙が落ちた。

彼女は椅子を倒しそうな勢いで立ち上がって、ベッドにしがみついた。
小さな手が、点滴の管に触れないように、必死に俺のシーツをつかむ。

「やだ」

震える声だった。

「やだよ、そんなの」

俺は目を逸らそうとした。
でも、向日葵は逃がしてくれなかった。

泣きながら、怒った顔で、俺を見た。

「生きてよ! 私のために!」

その言葉は、病室の白さを破って、まっすぐ俺の胸に刺さった。

その時の俺には、自分の命に価値があるなんて思えなかった。
母さんを苦しめるだけの体なら、もう終わってもいいと思っていた。

なのに、向日葵は言った。

私のために、と。

そんなわがままな言葉を、誰も俺にくれなかった。

「向日葵のため?」

「そうだよ!」

彼女は涙でぐしゃぐしゃの顔のまま、何度もうなずいた。

「太陽くんがいないと嫌だよ。学校帰りに一緒に帰れないのも、公園で遊べないのも、プリン半分こできないのも嫌だよ」

俺は、どうしようもなく泣きそうになった。

「もし」

声がかすれた。

「もし生きのびれたら、もし王子様になれたら、俺と結婚してほしい」

向日葵は一瞬だけ固まった。
それから、何かを決めたみたいに俺の手を握った。

小さくて、あたたかい手だった。

「うん。約束するから。だから、死んじゃ嫌だよ」
< 46 / 179 >

この作品をシェア

pagetop