恋から逃げるのには理由(わけ)があって
玄関に向かうと、太陽がゆっくり立ち上がった。

「見送らなくていいです」

「玄関まで」

「病人の行動範囲はソファまでです」

「すぐ戻る」

結局、彼は壁に手を添えながら玄関まで来た。
マスク越しの目が、熱で潤んでいる。弱っているのに、その目だけは相変わらずまっすぐだった。

「ありがとう、向日葵」

「人道支援です」

「うん。人道支援、嬉しかった」

「前向きに受け取らないでください」

太陽は少しだけ笑った。
その笑顔が、一度目の人生の夜と重なって、私は目を逸らした。

ドアを開ける前、太陽が静かに言った。

「向日葵」

「何ですか」

「君、さっき少しだけ、懐かしそうな顔をした」

心臓が跳ねた。

「してません」

「してた」

「熱のせいで見間違えたんです」

「たぶん、違う」

低い声だった。

太陽は、額の冷却シートを指で押さえながら、私を見た。

「鮭かゆも、みかんゼリーも。俺、向日葵に話したことない」

喉が詰まった。

私は笑おうとした。
いつものように、雑な冗談で押し流そうとした。
でも、うまく笑えなかった。

太陽の目が、わずかに細くなる。

熱でぼんやりしているはずの彼は、その夜、私が隠している何かの輪郭に、気づき始めていた。
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