恋から逃げるのには理由(わけ)があって
いや、正確には王子様の衣装を着た男がいた。

白いジャケットに、金色の刺繍。
舞台衣装みたいに華やかなのに、着ている本人があまりにも自然で、違和感が仕事を放棄している。
長いまつげ。まっすぐな鼻筋。薄く笑みを含んだ唇。
古いアパートの廊下に立っているのに、彼のまわりだけ照明の種類が違う気がした。

顔面が、国宝だった。

「風早向日葵。迎えに来た」

名前を呼ばれた瞬間、胸の奥がぎゅっと鳴った。

その声を、私は知っている。

テレビ越しに。
映画館の暗闇の中で。
海外の授賞式のニュース映像で。
何度も、何度も聞いた声。

けれど、それよりずっと前から、私はその声を知っていた。

「……太陽くん?」

私の声は、自分でも笑ってしまうくらい頼りなかった。

大空太陽。

世界的俳優。
日本を飛び出して、海外映画にも出て、雑誌の表紙では「アジアの至宝」なんて肩書きを背負わされている人。
そして、小学生のころまで毎日のように一緒にいた、私の幼馴染。

太陽は、目元をやわらかくした。

「久しぶり、向日葵」

その言い方が、昔と同じだった。

向日葵、の「ひ」を少しだけやさしく発音する癖。
それを聞いた瞬間、病院の白いカーテンも、帰り道の夕焼けも、売店で買ったプリンも、遠いはずのものが一気に胸の奥へ戻ってきた。

「え、待って。え、どうして。ここ、私の家なんだけど」

「うん。迎えに来た」

「迎えに?」

「向日葵を」

「どこへ?」

「俺のところへ」

会話が成立しているようで、まったく成立していない。

私はドアの隙間から彼を見上げた。
本物だ。
画面ではない。
広告でもない。
雑誌の紙面でもない。

十数年ぶりに会った幼馴染が、王子姿で、私のアパートの前に立っていた。
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