恋から逃げるのには理由(わけ)があって
「向日葵は?」

「ん?」

「俺を、どう思ってた?」

そう聞かれて、私は割り箸の袋を無意味にいじった。

どう思っていた。

言葉にするには、長すぎた。

病院を退院したと聞いた日の嬉しさ。
アメリカに行ったと聞いた日の寂しさ。
高校生の時、母がテレビを見て「太陽くんじゃない?」と言った瞬間の驚き。
画面の中で、大人びた顔をした太陽が英語でインタビューに答えていた時の、胸がつぶれそうな感覚。

遠い人になったと思った。
でも、見つけるたびに嬉しかった。
応援していた。
誰にも言わずに、雑誌を買ったこともある。
映画館で彼の名前がエンドロールに出た時、泣きそうになったこともある。

全部、言うには恥ずかしすぎる。

「……生きててよかったって、ずっと思ってた」

結局、出てきたのはその言葉だった。

太陽の目が、静かに揺れた。

「向日葵」

「それだけでよかったの。どこかで元気にしてるなら、それでいいって思ってた。でも、テレビに出てるのを見ると嬉しかった。すごいなって思った。遠いな、とも思った」

私は笑った。

「まさか、遠いどころか玄関に来るとは思わなかったけど」

「来た」

「来たね。王子姿で」

「引いた?」

「ちょっと」

太陽が一瞬だけ固まったので、私は慌てて付け足した。

「でも、嬉しかった」

その言葉を口にした瞬間、胸がふわりと軽くなった。

「嬉しかったよ。太陽くんが迎えに来てくれたこと。覚えててくれたこと。生きて、ここまで来てくれたこと」

太陽は黙っていた。

そして、静かに目を伏せた。

その横顔があまりにも綺麗で、私は今さら現実味を失いかけた。
この人が私の婚約者。
たった今、そうなった。
大丈夫だろうか。私の脳は理解しているのか。

「向日葵」

太陽は顔を上げた。

「抱きしめてもいい?」

心臓が、派手に転んだ。

いきなりの許可制ハグ。
世界的俳優はコンプライアンス意識が高い。

「え、あの、えっと」

「嫌ならしない」

「嫌じゃ、ない」

声が小さくなった。

「じゃあ、いい?」

私はうなずいた。

次の瞬間、太陽の腕がそっと私を包んだ。

強くない。
逃げようと思えば逃げられるくらいの力。
けれど、確かに私を大切に抱きしめる腕だった。

彼の衣装の刺繍が頬に触れる。
清潔な布の匂いと、少しだけ甘い香り。
胸の奥で、彼の鼓動が聞こえるような気がした。

生きている。

その実感が、じわりと目の奥を熱くした。
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