恋から逃げるのには理由(わけ)があって
「それに」

太陽は少しだけ視線を落とした。

「迎えに来るのが遅くなったのも、その交渉に時間がかかったからなんだ」

「交渉?」

「向日葵にプロポーズするって決めてから、ずっと事務所に話してた。結婚したい。相手は一般の人だから、絶対に守りたい。発表の時期も、住む場所も、取材対応も、全部ちゃんと決めて、許可をもらってから迎えに行きたいって」

私は、箸を持ったまま固まった。

「……いつから?」

「プロポーズする日の、ずっと前。今回の映画で、初めての王子様役が決まった時」

「ずっと前」

思わず復唱した。

私が普通に会社へ行き、コピー機の反乱と戦い、半額シールを見つけて小さく勝利していた日々の裏で、この人は私との結婚許可を得るために、事務所と戦っていたらしい。

スケールが違う。

私の人生が町内会なら、太陽の人生は国際会議だ。

「本当は、王子様役が決まってすぐ、もっと早く迎えに行きたかった。だけど、向日葵を危ない場所に連れていくわけにはいかなかった」

太陽は、少し苦しそうに笑った。

「遅くなって、ごめん」

その言葉は、さっき抱きしめられた時の声と同じだった。

私は箸を置いた。

「遅くないよ」

「向日葵」

「ちゃんと来たでしょう。だったら、遅くない」

太陽の目が、ゆっくり揺れた。

それから彼は、子どものころみたいに、泣きそうな顔で笑った。

「ありがとう」
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