恋から逃げるのには理由(わけ)があって
駅のホームは、通勤客でぎゅうぎゅうだった。
前日の雨で空気は湿っていて、濡れた傘の匂いと、急いでいる人たちの体温が混ざっている。
私はバッグを前に抱え、いつもの乗車位置より少し後ろに立った。
駅の外へちらっと目をやると、駅前の大型ビジョンが見えた。
そこには、太陽の主演映画で公式アンバサダーを務める、朝比奈絵里奈という女優が映っていた。
――この映画が公開されたら、私たちの関係を公表できる。
公式アンバサダーの紹介後に流れた映画の予告動画を眺めながら、そう思った。
白と金の衣装。
長いマント。
剣を構え、振り返る横顔。
画面の中の太陽は、完璧な王子様だった。
ホームに列車の到着を知らせるアナウンスが流れた――その時だった。
背中を、押された。
人混みの圧ではなかった。
肩がぶつかったとか、鞄が当たったとか、そういう曖昧な感触ではない。
肩甲骨の真ん中を、手のひらで、まっすぐ。
「え」
足元が消えた。
視界が斜めに傾く。
ホームの黄色い線が、ひどく近くなる。
誰かの悲鳴が聞こえた時には、私は線路の上に落ちていた。
膝に鋭い痛みが走る。
砂利が手のひらに食い込む。
見上げると、ホームの上からいくつもの顔がこちらをのぞき込んでいた。
「非常ボタン!」
「人が落ちた!」
心臓が、耳の奥で暴れていた。
電車のライトはまだ遠かった。遠いはずなのに、レールの震えだけが体の下から伝わってくる気がして、息ができなくなる。
駅員さんに引き上げられた時、私は自分の足で立てなかった。
膝は擦りむき、ストッキングは破れ、手のひらには小さな砂利の跡が残っていた。
けれど骨は折れていない。頭も打っていない。
奇跡みたいに、私は無事だった。
前日の雨で空気は湿っていて、濡れた傘の匂いと、急いでいる人たちの体温が混ざっている。
私はバッグを前に抱え、いつもの乗車位置より少し後ろに立った。
駅の外へちらっと目をやると、駅前の大型ビジョンが見えた。
そこには、太陽の主演映画で公式アンバサダーを務める、朝比奈絵里奈という女優が映っていた。
――この映画が公開されたら、私たちの関係を公表できる。
公式アンバサダーの紹介後に流れた映画の予告動画を眺めながら、そう思った。
白と金の衣装。
長いマント。
剣を構え、振り返る横顔。
画面の中の太陽は、完璧な王子様だった。
ホームに列車の到着を知らせるアナウンスが流れた――その時だった。
背中を、押された。
人混みの圧ではなかった。
肩がぶつかったとか、鞄が当たったとか、そういう曖昧な感触ではない。
肩甲骨の真ん中を、手のひらで、まっすぐ。
「え」
足元が消えた。
視界が斜めに傾く。
ホームの黄色い線が、ひどく近くなる。
誰かの悲鳴が聞こえた時には、私は線路の上に落ちていた。
膝に鋭い痛みが走る。
砂利が手のひらに食い込む。
見上げると、ホームの上からいくつもの顔がこちらをのぞき込んでいた。
「非常ボタン!」
「人が落ちた!」
心臓が、耳の奥で暴れていた。
電車のライトはまだ遠かった。遠いはずなのに、レールの震えだけが体の下から伝わってくる気がして、息ができなくなる。
駅員さんに引き上げられた時、私は自分の足で立てなかった。
膝は擦りむき、ストッキングは破れ、手のひらには小さな砂利の跡が残っていた。
けれど骨は折れていない。頭も打っていない。
奇跡みたいに、私は無事だった。