恋から逃げるのには理由(わけ)があって
遅れて出社した私が「駅で少し転んで」と言うと、同僚たちは心配してくれた。
その時は、まだ。
変わったのは昼休みだった。
給湯室の前を通った時、中から声が聞こえた。
「風早さんって、既婚者と付き合ってるんでしょ?」
「高級マンションに出入りしてるって。相手、妻子持ちらしいよ」
「不倫ってこと?」
不倫。
その単語だけが、やけにはっきり耳に入った。
私は足を止めた。
声も止まった。
給湯室の空気が、一瞬で凍る。
中にいた二人がこちらを見た。気まずそうに視線を逸らす人と、逆に値踏みするみたいに見てくる人。
「……それ、私の話ですか」
自分の声が思ったより冷静で、少し驚いた。
一人が慌てて笑った。
「違うの。そういう噂があるってだけで」
「誰が言ってるんですか」
「さあ……でも、見た人がいるみたい。風早さんが男の人と、高級マンションに入っていくところ」
胃の奥が、ひやりとした。
高級マンション。
太陽と暮らしている場所。
秘密の、私たちの家。
「不倫なんてしていません」
私ははっきり言った。
けれど、その言葉は思ったより軽かった。
だって、私は本当のことを言えない。
相手は夫です。
大空太陽です。
私たちは結婚しています。
言えるはずがなかった。
そんなことを言えば、噂どころでは済まない。会社も、太陽の事務所も、映画の公開も、全部巻き込んでしまう。
私の沈黙は、太陽を守るためだった。
そう信じたかった。
その時は、まだ。
変わったのは昼休みだった。
給湯室の前を通った時、中から声が聞こえた。
「風早さんって、既婚者と付き合ってるんでしょ?」
「高級マンションに出入りしてるって。相手、妻子持ちらしいよ」
「不倫ってこと?」
不倫。
その単語だけが、やけにはっきり耳に入った。
私は足を止めた。
声も止まった。
給湯室の空気が、一瞬で凍る。
中にいた二人がこちらを見た。気まずそうに視線を逸らす人と、逆に値踏みするみたいに見てくる人。
「……それ、私の話ですか」
自分の声が思ったより冷静で、少し驚いた。
一人が慌てて笑った。
「違うの。そういう噂があるってだけで」
「誰が言ってるんですか」
「さあ……でも、見た人がいるみたい。風早さんが男の人と、高級マンションに入っていくところ」
胃の奥が、ひやりとした。
高級マンション。
太陽と暮らしている場所。
秘密の、私たちの家。
「不倫なんてしていません」
私ははっきり言った。
けれど、その言葉は思ったより軽かった。
だって、私は本当のことを言えない。
相手は夫です。
大空太陽です。
私たちは結婚しています。
言えるはずがなかった。
そんなことを言えば、噂どころでは済まない。会社も、太陽の事務所も、映画の公開も、全部巻き込んでしまう。
私の沈黙は、太陽を守るためだった。
そう信じたかった。