姉の身代わりに敵国に嫁いだら皇太子に溺愛されました
「……ルシアン殿下」

思わず、声が出そうになるのを必死に飲み込む。

彼は、迷いなくある扉の前へと歩み寄った。

その扉が、静かに開く。

「……ルシアン」

中から聞こえてきたのは、柔らかな女の声だった。

その響きに、胸がざわつく。

名前を――呼び捨てにしている。

けれどルシアン殿下は、それを咎めることもなく、むしろわずかに表情を緩めていた。

あんな顔を、私は知らない。

「今夜も、こちらに来ていいの?」

甘えるような声音。一瞬の沈黙のあと、

「ああ」

低く、落ち着いた声が返る。

「どうせ、形だけの夫婦なんだ」

その一言が、胸に突き刺さった。

――形だけの夫婦。

分かっていたはずなのに。

どうしてこんなにも、苦しいのだろう。

扉が閉まる音が、小さく響く。
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