姉の身代わりに敵国に嫁いだら皇太子に溺愛されました
そっと近づき、カップを置く。

その間も、彼は視線を上げない。

「……置いておけ」

それだけの言葉。

「はい」

それ以上、何も続かない。

私は静かに一礼し、部屋を後にする。

扉が閉まる直前、ほんの一瞬だけ振り返る。

けれど彼は、やはりこちらを見ることはなかった。

廊下に出ると、張りつめていた気持ちが少しだけほどける。

今日もまた、無事に役目を果たした。

それでいい。それだけでいい。

そう思いながらも――

胸の奥には、言葉にならない想いが、静かに積もっていくのだった。

数日が過ぎる頃には、宮廷の空気にも少しずつ慣れてきた。

けれど――慣れてしまったからこそ、分かることもある。

視線だ。正面から向けられるものではない。

ほんの一瞬だけ、横目で確かめるような視線。

そして、すぐに逸らされる。
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