有罪愛

疑惑

「子供はいつか親から卒業しないといけないんだよ。親だっていつかは死ぬ。老衰だとは限らないし、病気や事故、自殺……、様々な死因がそこらに転がっている」

 それはこの世の真理だ。

 分かっている。――けれど、やるせない。

 満足いくまで付き合って、覚悟した上で親を見送れる子供は幸せだ。

 だが最期の言葉すら聞けず、理由なく突然いなくなられると、持て余した感情をどこにぶつけたらいいか分からなくなる。

 ――私たちは、お父さんの死の犠牲者だ。

 母だって、父さえ死ななければ、ああならなかっただろう。

 父の事は大好きだったのに、理由の分からない自死という特大の裏切りを受けた。

 だが父にもつらい事があったのかもしれないと思うと、責める事はできない。

 責めたとして、死んだ父はなんの責任もとらない。とれない。

 遺された者たちが、自分の心と感情と向き合い、昇華しながら父のいない人生を歩んでいくしかないのだ。

 涙が引いたあと、春佳はティッシュで洟をかんで言う。

「親から子への世代のバトンって言うけど、ちゃんと渡されずに落とされたバトンでも、拾って走っていかないとならないんだね」

「そういうもんだろ。本当は誰だって豊かな生活を送り、幸せな結婚をして、可愛い子供に恵まれて、孫たちに囲まれて幸せにあの世へゴールしたいと思うだろう。でもアクシデントがあって、途中棄権する人は大勢いる」

 言われて、春佳はノロノロと冬夜を見た。

「そんなに親父が気になるなら、あの世で誇ってもらえる生き方をすればいいだろ。俺が見守ってるから、春佳は自分のやりたい事をして精一杯生きろよ。頑張っているうちに、誰かが認めてくれるかもしれない。みんなに讃えられる生き方じゃなくても、誰かに席を譲るとか、そういうささやかな事でいい。自分が〝善い〟と思った事をして、生きるしかないんだよ」

 前に進むしかないと言われ、春佳は溜め息をつく。

「……立ち止まっていられないんだね」

「つらい時は立ち止まってもいいよ。でも同じ場所に留まりすぎると、足を動かすのが億劫になる。だから、どんな事があっても普通に過ごしていくのが、一番大切なんだ」

 自分に言い聞かせるような兄の言葉を聞き、春佳は小さく頷いた。






 それから一か月近くは、何事もなく平穏に過ごした。

 兄との生活も慣れ、いつかのように変な雰囲気になる事もなく、協力し合って生活できている。

 日々、様々な感情が湧き起こったが、まずは冬夜が言っていたように勉学に身を入れた。

 たまに千絵と遊んで気晴らしをすると、鬱屈とした気持ちが楽になる。

 家庭教師のアルバイトは辞めた。

 他の仕事も経験したほうが人生勉強になるかもしれないと思い、今度は銀座にあるホテルの和食レストランスタッフとして働き始めた。

 そこは外国人客も訪れるので、英語を話せるスタッフが重宝されている。

 交通費が支給される他、何かと条件が良く、働く時間も融通を利かせてもらえたので頑張るつもりだ。

 最初は仕事を覚えるのが大変だったが、次第に人と接する楽しさを覚えていった。

『春佳はどっちかというと人見知りだから、ちょっと人の間で揉まれたほうがいいんじゃない?』

 千絵の意見を聞いて納得した春佳は、これから少しずつ自分の世界を広げていきたいと思っていた。




**




〝それ〟を見たのは、十月上旬の水曜日だった。

 春佳は千絵に誘われて、美味しいと噂の代々木上原にあるイタリアンバルに向かった。

 冬夜には遅くなると伝え、のびのびと友達とお喋りするつもりだった。

 と言っても翌日には大学があるので、遅くなりすぎない程度にだが。

 入院している母には申し訳ないが、彼女に怯えて門限を気にしていた時に比べ、今は何をするにも気が楽だ。

 基本的に冬夜は、連絡さえ入れれば何も言わない。

 兄も自分を信じてくれているから、口うるさく言わないのだと思っている。

 逆を言えば、母とは信頼関係が築けていなかったのだろう。

「まぁ、でも良かったよ。最近明るくなったように見えるし、友達として安心した。……申し訳ないけど、お母さんと一緒にいた時の春佳は価値観が歪んでいたと思う」

 スパゲッティを食べた千絵に言われ、リゾットを取り皿にとった春佳は曖昧に笑う。

「……かもしれない。自分ではあまり分からなかったけど、人から指摘されて気づく事ってあるね」

「でも、これから変わっていけるならいいじゃん。春佳、お兄さんを自慢に思いながらも、微妙な感情を抱いてるっぽいけど、自分の環境を変えてくれた恩人だって事は忘れちゃいけないよ」

「そうだね」

 そこまで話した時、千絵が「あ」と声を漏らして出入り口のほうを見た。

 つられて彼女の視線の先を見ると、冬夜が知らない女性と入店したところだ。

 春佳は真顔になり、しばし言葉を失って兄を見ていた。


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