有罪愛
十月下旬、春佳は千絵に教えられたアンティークな喫茶店に行ってみたくなり、土曜日に神保町を訪れていた。
本の町と呼ばれている神保町は大好きな所だ。
春佳は千絵が絶賛していたチーズケーキを味わったあと、ぷらりと書店に行こうと思っていた。
昼過ぎ、駅から出て横断歩道に向かおうとした時、見覚えのある女性が雑踏の向こうからやってくるのを目撃した。
小村沙由紀だ。
休日だからか、彼女は髪を下ろしていたが、先日しっかりと顔を覚えたので、間違える事はない。
春佳は思わず立ち止まり、正面から歩いてくる小村を見つめる。
それだけなら、小村も気づかずに通り過ぎただろう。
だが春佳は兄を悩ませている女をどうしても許す事ができず、胸に決意を宿すとツカツカと彼女に歩み寄った。
「あの!」
声を掛けると、小村は驚いた表情をして立ち止まった。
近くで見ると余計に彼女の美しさが分かり、さらに憎たらしさが増す。
「何か……?」
白いシャツに日焼け防止のベージュのカーディガン、ライトブルーのデニムを穿いた小村は、いきなり話しかけてきた少女を見て足を止めた。
小村は芸能人と言っても差し支えがない顔立ちをしていて、目がぱっちりと大きい。
メイクの効果もあるだろうが、夏でも白くつるんとした肌に長い睫毛を見ると、胸の奥にジリッとした黒い炎が宿った。
(私だって、メイクを学べばこれぐらい……)
春佳は対抗心を抱きながら、きつい眼差しで小村を見つめた。
「兄に近づかないでください」
「はい?」
言った途端、小村は目を大きく見開いて声を上げる。
その予想外という反応が、余計に春佳を苛立たせた。
「……私、瀧沢春佳と言います。瀧沢冬夜の妹です」
「ああ……」
名乗って初めて、小村は春佳が誰なのか理解したようだった。
「ごめんなさい。全然似てないから分からなかった」
加えて、彼女の率直な感想が春佳の神経を逆撫でした。
春佳はその何気ない言葉を聞いて眦をつり上げる。
尋常ではない雰囲気を感じた小村は、宥めるように口調を和らげて尋ねてきた。
「瀧沢くんの妹さん? 初めまして。私は小村沙由紀といいます。……私たちは初対面だけれど、どこかで会った事がある? いきなり『近づかないで』と言われても、何の事か分からないの。彼は会社の後輩だけど、必要以上にベタベタしているつもりはないよ」
その、やけに馴れ馴れしい話し方も癇に障り、彼女はますます険しい顔になる。
兄が被害を受けていると言ってやりたかったが、考えなしに突撃するのは良くない。
先輩である小村を怒らせたら、会社で冬夜の立場が危うくなる。
どれだけ兄が優秀でも、小村が先輩なのは事実なのだ。
下手な事を言って兄が不利な状況になれば本末転倒なので、単なるブラコン妹として接する事にした。
「先日、代々木上原にあるイタリアンバルに行きましたよね?」
「確かに行ったけど」
小村は日差しを気にするように手で庇を作り、眩しそうに少し目を細める。
そのちょっとの仕草すら、イライラする。
(私だって貴重な時間を削って話してるんだから、鬱陶しそうな態度をとらないでよ)
唇を微かに噛んだあと、春佳はジッと小村を見据えて言った。
「あの時、私も友人と同じ店にいたんです。随分親しげに話していましたけど、兄には他に大切な人がいるので、二人きりで会うとか、誤解を招く事をしないでください」
冬夜には現在彼女もいないし、好きな人すらいない。
だが〝大切な人〟とぼやけた主語の裏に、自分の存在を隠した春佳は、「どうだ」と言わんばかりに小村を見つめた。
――お兄ちゃんが私を守ってくれているなら、私だって守り返さないと。
完璧すぎる兄に憧れた妹がとっさに起こした愚かな行動であったが、義憤に駆られた春佳はこれで小村を言い負かしたつもりになっていた。
彼女は一瞬固まったあと、困惑したように眉を寄せる。
そのあとしばし間を置いて、静かに息を吐いた。
本の町と呼ばれている神保町は大好きな所だ。
春佳は千絵が絶賛していたチーズケーキを味わったあと、ぷらりと書店に行こうと思っていた。
昼過ぎ、駅から出て横断歩道に向かおうとした時、見覚えのある女性が雑踏の向こうからやってくるのを目撃した。
小村沙由紀だ。
休日だからか、彼女は髪を下ろしていたが、先日しっかりと顔を覚えたので、間違える事はない。
春佳は思わず立ち止まり、正面から歩いてくる小村を見つめる。
それだけなら、小村も気づかずに通り過ぎただろう。
だが春佳は兄を悩ませている女をどうしても許す事ができず、胸に決意を宿すとツカツカと彼女に歩み寄った。
「あの!」
声を掛けると、小村は驚いた表情をして立ち止まった。
近くで見ると余計に彼女の美しさが分かり、さらに憎たらしさが増す。
「何か……?」
白いシャツに日焼け防止のベージュのカーディガン、ライトブルーのデニムを穿いた小村は、いきなり話しかけてきた少女を見て足を止めた。
小村は芸能人と言っても差し支えがない顔立ちをしていて、目がぱっちりと大きい。
メイクの効果もあるだろうが、夏でも白くつるんとした肌に長い睫毛を見ると、胸の奥にジリッとした黒い炎が宿った。
(私だって、メイクを学べばこれぐらい……)
春佳は対抗心を抱きながら、きつい眼差しで小村を見つめた。
「兄に近づかないでください」
「はい?」
言った途端、小村は目を大きく見開いて声を上げる。
その予想外という反応が、余計に春佳を苛立たせた。
「……私、瀧沢春佳と言います。瀧沢冬夜の妹です」
「ああ……」
名乗って初めて、小村は春佳が誰なのか理解したようだった。
「ごめんなさい。全然似てないから分からなかった」
加えて、彼女の率直な感想が春佳の神経を逆撫でした。
春佳はその何気ない言葉を聞いて眦をつり上げる。
尋常ではない雰囲気を感じた小村は、宥めるように口調を和らげて尋ねてきた。
「瀧沢くんの妹さん? 初めまして。私は小村沙由紀といいます。……私たちは初対面だけれど、どこかで会った事がある? いきなり『近づかないで』と言われても、何の事か分からないの。彼は会社の後輩だけど、必要以上にベタベタしているつもりはないよ」
その、やけに馴れ馴れしい話し方も癇に障り、彼女はますます険しい顔になる。
兄が被害を受けていると言ってやりたかったが、考えなしに突撃するのは良くない。
先輩である小村を怒らせたら、会社で冬夜の立場が危うくなる。
どれだけ兄が優秀でも、小村が先輩なのは事実なのだ。
下手な事を言って兄が不利な状況になれば本末転倒なので、単なるブラコン妹として接する事にした。
「先日、代々木上原にあるイタリアンバルに行きましたよね?」
「確かに行ったけど」
小村は日差しを気にするように手で庇を作り、眩しそうに少し目を細める。
そのちょっとの仕草すら、イライラする。
(私だって貴重な時間を削って話してるんだから、鬱陶しそうな態度をとらないでよ)
唇を微かに噛んだあと、春佳はジッと小村を見据えて言った。
「あの時、私も友人と同じ店にいたんです。随分親しげに話していましたけど、兄には他に大切な人がいるので、二人きりで会うとか、誤解を招く事をしないでください」
冬夜には現在彼女もいないし、好きな人すらいない。
だが〝大切な人〟とぼやけた主語の裏に、自分の存在を隠した春佳は、「どうだ」と言わんばかりに小村を見つめた。
――お兄ちゃんが私を守ってくれているなら、私だって守り返さないと。
完璧すぎる兄に憧れた妹がとっさに起こした愚かな行動であったが、義憤に駆られた春佳はこれで小村を言い負かしたつもりになっていた。
彼女は一瞬固まったあと、困惑したように眉を寄せる。
そのあとしばし間を置いて、静かに息を吐いた。