有罪愛
『久しぶり。大きくなったな』
その声を聞いただけで心臓が狂ったように鳴り、頭痛がし、吐き気がこみ上げる。
今いるのは自宅マンション前だというのに、なぜか実家にいるような感覚に陥った。
ギシギシと軋むベッドに、シーツに押さえつけられる息苦しさ。
耳に掛かる生温かい吐息に、手首を掴む力強い手。
奴は目の前にいるのに、肌に触られたような気がしてブルッと震える。
『……何しに来たんだ。祖父さんに近づくなと言われなかったか?』
――今の俺がこいつに力で負ける訳がない。
――ずっと鍛え続けているし、身長も体格も何もかも勝っている。
――何かされかけたら、思いきりミドルキックを食らわせてやる。
第三者から見れば、ヒョロッとした五十歳手前の親父より、筋肉に恵まれた俺のほうが〝強者〟に見えるだろう。
なのに、いつまでも蛇に睨まれた蛙はこちらのほうなのだ。
蒸し暑い夜だけが理由でなく、額にフツフツと冷や汗が浮かぶ。
『春佳は綺麗になったよ。お前、最近会ってるのか? 父さんはお前たちが連絡をとってるか知らないから』
こいつの口から春佳の名前が出るだけで、おぞましくて吐き気がする。
『……会ってるし、春佳の事は誰より俺が知ってるから、あんたに言われるまでもない』
言い返しながらも、嫌な予感がして堪らなかった。
父親は薄ら笑いを浮かべ、目を細める。
『お前は本当にお母さんそっくりに育ったなぁ……。本当に綺麗だ』
(まったく似てないだろ)
昔から変わらない口癖を耳にし、思わず内心で毒づく。
母は俺ほどくっきりとした目鼻立ちをしておらず、あっさりとした塩顔だ。
うりざね顔に細めの目、鼻も低く唇も薄い。体型は痩身で身長は高め。
俺がいわゆる縄文顔なのに対し、家族の三人は弥生顔だ。
父は一応二重だが、俺ほど目が大きくないし二重の幅も狭い。
鍛えて筋肉量が増えても、俺と似た体型にはならない。
春佳も二重ではあるが、どちらかといえば童顔で丸顔、痩せ型の平均的な身長だ。
俺だけ家族の中で浮いていて、浮気や不倫の概念を知った頃は、父か母のどちらかが浮気をしてできた子供ではないかと疑っていた。
そんな自分の、どこが母に似ているのか一ミリも理解できない。
『でも、春佳も可愛いんだ。母さんそっくりで、大人しくて言う事を何でも聞いてくれて、本当に可愛いぞぉ~……』
粘着質に笑うその顔を見て、全身に悪寒が走った。
『お前……、まさか……』
あってはならない事を想像し、俺は身を震わせる。
とっさに、俺はスマホを取りだして春佳に電話を掛けた。
だが何度コール音を鳴らしても彼女は出ず、代わりに音声案内が流れてくる。
思えば三日前から春佳から連絡がない。
今までも数日程度なら連絡に穴が空いた事はあるので、特に問題視していなかった。
――しまった。
家を出て三年ほどは、毎日欠かさず春佳に連絡していた。
今も俺から連絡しているが、慣れゆえか、春佳からの返事が遅れる事もあった。
『毎日必ず連絡しろ』と強制したくても納得させられる理由がなく、『何もないならいいか』と思ったのが仇となった。
父親は何かを思いだし、下卑た笑いを顔に張り付かせる。
『春佳は母さんに似て痩せているが、体はもう大人だ。父さんの言う事なら何でも聞くし、お前とは違って従順で、本当に可愛いよ』
直接的な言葉を言われずとも、このけだものが春佳に何をしたのかすぐに察した。
『…………っ、この外道が!!』
怒鳴りつけたが、一度人の道から外れた男には蛙の面に水だ。
『…………殺してやる…………!』
最悪の事態が起こってしまったと知り、俺の中で何かがブチリと切れた。
全身の血が凍ったように感じ、〝人〟としての判断を下せない。
外道はニヤニヤ笑いを顔に張り付かせ、黙って俺を見ている。
――そうか。もう俺を支配できないと知って、次は自分に逆らわない春佳を狙ったのか。
あまりの怒りで体がブルブルと震え、思考は正常さを欠いた。
トラウマを失念した俺は、目の前のけだものをこの世から消し去る事だけを考える。
『父さんはお前が大好きだよ。お母さんそっくりのお前には、幸せになってほしいなぁ。父さんは、お前が幸せになってくれるなら、どうなってもいいや』
街灯の光を浴びた中年男の姿をした悪魔は、とろりと愉悦の籠もった笑みを浮かべた。
そして踵を返すと、何事もなかったかのようにゆっくり歩き、立ち去っていった。
その声を聞いただけで心臓が狂ったように鳴り、頭痛がし、吐き気がこみ上げる。
今いるのは自宅マンション前だというのに、なぜか実家にいるような感覚に陥った。
ギシギシと軋むベッドに、シーツに押さえつけられる息苦しさ。
耳に掛かる生温かい吐息に、手首を掴む力強い手。
奴は目の前にいるのに、肌に触られたような気がしてブルッと震える。
『……何しに来たんだ。祖父さんに近づくなと言われなかったか?』
――今の俺がこいつに力で負ける訳がない。
――ずっと鍛え続けているし、身長も体格も何もかも勝っている。
――何かされかけたら、思いきりミドルキックを食らわせてやる。
第三者から見れば、ヒョロッとした五十歳手前の親父より、筋肉に恵まれた俺のほうが〝強者〟に見えるだろう。
なのに、いつまでも蛇に睨まれた蛙はこちらのほうなのだ。
蒸し暑い夜だけが理由でなく、額にフツフツと冷や汗が浮かぶ。
『春佳は綺麗になったよ。お前、最近会ってるのか? 父さんはお前たちが連絡をとってるか知らないから』
こいつの口から春佳の名前が出るだけで、おぞましくて吐き気がする。
『……会ってるし、春佳の事は誰より俺が知ってるから、あんたに言われるまでもない』
言い返しながらも、嫌な予感がして堪らなかった。
父親は薄ら笑いを浮かべ、目を細める。
『お前は本当にお母さんそっくりに育ったなぁ……。本当に綺麗だ』
(まったく似てないだろ)
昔から変わらない口癖を耳にし、思わず内心で毒づく。
母は俺ほどくっきりとした目鼻立ちをしておらず、あっさりとした塩顔だ。
うりざね顔に細めの目、鼻も低く唇も薄い。体型は痩身で身長は高め。
俺がいわゆる縄文顔なのに対し、家族の三人は弥生顔だ。
父は一応二重だが、俺ほど目が大きくないし二重の幅も狭い。
鍛えて筋肉量が増えても、俺と似た体型にはならない。
春佳も二重ではあるが、どちらかといえば童顔で丸顔、痩せ型の平均的な身長だ。
俺だけ家族の中で浮いていて、浮気や不倫の概念を知った頃は、父か母のどちらかが浮気をしてできた子供ではないかと疑っていた。
そんな自分の、どこが母に似ているのか一ミリも理解できない。
『でも、春佳も可愛いんだ。母さんそっくりで、大人しくて言う事を何でも聞いてくれて、本当に可愛いぞぉ~……』
粘着質に笑うその顔を見て、全身に悪寒が走った。
『お前……、まさか……』
あってはならない事を想像し、俺は身を震わせる。
とっさに、俺はスマホを取りだして春佳に電話を掛けた。
だが何度コール音を鳴らしても彼女は出ず、代わりに音声案内が流れてくる。
思えば三日前から春佳から連絡がない。
今までも数日程度なら連絡に穴が空いた事はあるので、特に問題視していなかった。
――しまった。
家を出て三年ほどは、毎日欠かさず春佳に連絡していた。
今も俺から連絡しているが、慣れゆえか、春佳からの返事が遅れる事もあった。
『毎日必ず連絡しろ』と強制したくても納得させられる理由がなく、『何もないならいいか』と思ったのが仇となった。
父親は何かを思いだし、下卑た笑いを顔に張り付かせる。
『春佳は母さんに似て痩せているが、体はもう大人だ。父さんの言う事なら何でも聞くし、お前とは違って従順で、本当に可愛いよ』
直接的な言葉を言われずとも、このけだものが春佳に何をしたのかすぐに察した。
『…………っ、この外道が!!』
怒鳴りつけたが、一度人の道から外れた男には蛙の面に水だ。
『…………殺してやる…………!』
最悪の事態が起こってしまったと知り、俺の中で何かがブチリと切れた。
全身の血が凍ったように感じ、〝人〟としての判断を下せない。
外道はニヤニヤ笑いを顔に張り付かせ、黙って俺を見ている。
――そうか。もう俺を支配できないと知って、次は自分に逆らわない春佳を狙ったのか。
あまりの怒りで体がブルブルと震え、思考は正常さを欠いた。
トラウマを失念した俺は、目の前のけだものをこの世から消し去る事だけを考える。
『父さんはお前が大好きだよ。お母さんそっくりのお前には、幸せになってほしいなぁ。父さんは、お前が幸せになってくれるなら、どうなってもいいや』
街灯の光を浴びた中年男の姿をした悪魔は、とろりと愉悦の籠もった笑みを浮かべた。
そして踵を返すと、何事もなかったかのようにゆっくり歩き、立ち去っていった。