有罪愛
一家を支える父親がいなくなっても時は過ぎ、食欲がないと思っても腹は減る。
(私たちは、お父さんの分も生きなきゃいけない)
春佳たちは文京区小石川にある、3LDKのマンションに住んでいる。
父の死を確認したあとに管理会社とやり取りをしたが、父が生前、弁護士に『何かあった時こうしてほしい』と伝えていた事もあり、大事には至らなかった。
当時は警察や救急車が駆けつけて騒ぎになったものの、瀧沢庸一が自殺したという事は知られず、その騒ぎはやがて日常に紛れて忘れられていった。
だが遺された家族は違う。
かつては家族四人、少し前まで三人で暮らしていた家が今はとても広く感じられた。
「春佳、夕飯できた。食えるか?」
キッチンから冬夜の声がし、春佳は「うん」と兄に返事をする。
答えたあと彼女は寝室に向かい、ベッドで寝ている母に声を掛けた。
「お母さん、ご飯は?」
「……いらない」
力なく眠っている母は、か細い声で答えた。
「食べられるようになったら教えて。消化にいい物、作ってあげるから」
そう誘ったが、母は何も言わなかった。
リビングダイニングに向かうと、白いテーブルの上に二人分の食事が用意されてある。
椅子を引いて席につくと、器にはジェノベーゼソースが絡んだペンネが盛られている。
「美味しそう」
「茹でて買ってきたパスタソースにぶち込んだだけ」
春佳が褒めると、冬夜は素っ気なく言う。
チラリと兄を見ると、こんな時だというのに「今日も格好いいな」と思ってしまう。
兄は整った顔立ちをしていて、友人から「イケメン兄が羨ましい」と言われていた。
子供の頃は女の子と間違えられる事もあったそうで、女の子の服を着せられていた事もあったみたいだ。
それに引き換え、春佳は兄のようなくっきりとした目鼻立ちをしておらず、優しいと言えば聞こえがいいが、あまり主張しない顔立ちをしている。
長所といえば綺麗に伸ばしたロングヘアぐらいで、あとは何もかも凡庸だ。
体型は中肉中背で、特に胸も大きくない。
性格も控えめで、周囲から「ハッキリしない面白みのない奴」と思われている。
だから昔から周囲の人に「似てない兄妹だね」と言われるのがコンプレックスだった。
春佳は頭が良くて格好いい兄を自慢に思う一方で、比較される事を苦痛に感じていた。
「いただきます」
二人は胸の前で手を合わせてからフォークを手に取り、静かに食事を始める。
「お兄ちゃんとご飯食べるの、久しぶりだね」
「そうだな。一人暮らしを始めてから結構経つから」
冬夜は高校卒業と同時に一人暮らしを始め、都内を転々と引っ越したあと、今は中央区佃のマンションに住んでいる。
祖父に資産運用の方法を教わったからか、少し余裕のある生活を満喫しているようだ。
兄との仲は、悪くはないが仲良しとも言い切れない。
彼が早々に一人暮らしを始めた時、春佳は十一歳だった。
年齢が七つ離れている事もあり、喧嘩はしないが、成長した今は兄というより他人のように感じる時もある。
加えて春佳は自分の気持ちを共有するのが苦手で、一人で抱え込んでしまう性格だ。
なので異性である事も相まって、何でも相談できる兄妹とは言えなかった。
だからなのか、久しぶりに兄と食事をしている今も、多少の気まずさがある。
「必要な事は俺がやるから、母さんを頼むな」
「うん」
食事を終えてコーヒーを飲んでいる時、兄とそう話した。
葬儀が終わったあと、兄と「なぜ父は自殺したか」という話はしなかった。
遺書もないのに決めつけられないし、死者の想いは本人にしか分からない。
亡くなった人の話をして父が蘇る訳ではないし、納得できる死に方だったならともかく、前触れのない自死だったので話題にすると気まずくなってしまう。
今は無理矢理でも食事をし、日常生活を送る事によって、思考停止してしまいそうになるのを必至に留めている。
父を見送る時に沢山泣いたが、いまだに家族が一人いなくなった実感がない。
なのに気がつけば時間だけが無情に過ぎている。
まるで時間がゴムのように伸び、ぼんやりとしている間に、動く歩道に乗って翌日になっている感覚だ。
「大学、行けるか?」
「……うん。お父さんが大学に入れてくれたんだし、ちゃんと卒業しないと」
「学費は心配ないから、しっかり勉強しとけ」
「うん」
「つらいけど、頑張っていこうな。どんだけしんどくても、前を向いて歩いていかないとならないんだ」
「そうだね」
空虚な思いを抱えているのも、悲しいのも、これからどうなるのか不安なのも、家族三人とも同じなのだ。
(自分だけつらいって思ったら駄目だ)
春佳は己に言い聞かせ、立ちあがると食器を流しに持っていった。
**
(私たちは、お父さんの分も生きなきゃいけない)
春佳たちは文京区小石川にある、3LDKのマンションに住んでいる。
父の死を確認したあとに管理会社とやり取りをしたが、父が生前、弁護士に『何かあった時こうしてほしい』と伝えていた事もあり、大事には至らなかった。
当時は警察や救急車が駆けつけて騒ぎになったものの、瀧沢庸一が自殺したという事は知られず、その騒ぎはやがて日常に紛れて忘れられていった。
だが遺された家族は違う。
かつては家族四人、少し前まで三人で暮らしていた家が今はとても広く感じられた。
「春佳、夕飯できた。食えるか?」
キッチンから冬夜の声がし、春佳は「うん」と兄に返事をする。
答えたあと彼女は寝室に向かい、ベッドで寝ている母に声を掛けた。
「お母さん、ご飯は?」
「……いらない」
力なく眠っている母は、か細い声で答えた。
「食べられるようになったら教えて。消化にいい物、作ってあげるから」
そう誘ったが、母は何も言わなかった。
リビングダイニングに向かうと、白いテーブルの上に二人分の食事が用意されてある。
椅子を引いて席につくと、器にはジェノベーゼソースが絡んだペンネが盛られている。
「美味しそう」
「茹でて買ってきたパスタソースにぶち込んだだけ」
春佳が褒めると、冬夜は素っ気なく言う。
チラリと兄を見ると、こんな時だというのに「今日も格好いいな」と思ってしまう。
兄は整った顔立ちをしていて、友人から「イケメン兄が羨ましい」と言われていた。
子供の頃は女の子と間違えられる事もあったそうで、女の子の服を着せられていた事もあったみたいだ。
それに引き換え、春佳は兄のようなくっきりとした目鼻立ちをしておらず、優しいと言えば聞こえがいいが、あまり主張しない顔立ちをしている。
長所といえば綺麗に伸ばしたロングヘアぐらいで、あとは何もかも凡庸だ。
体型は中肉中背で、特に胸も大きくない。
性格も控えめで、周囲から「ハッキリしない面白みのない奴」と思われている。
だから昔から周囲の人に「似てない兄妹だね」と言われるのがコンプレックスだった。
春佳は頭が良くて格好いい兄を自慢に思う一方で、比較される事を苦痛に感じていた。
「いただきます」
二人は胸の前で手を合わせてからフォークを手に取り、静かに食事を始める。
「お兄ちゃんとご飯食べるの、久しぶりだね」
「そうだな。一人暮らしを始めてから結構経つから」
冬夜は高校卒業と同時に一人暮らしを始め、都内を転々と引っ越したあと、今は中央区佃のマンションに住んでいる。
祖父に資産運用の方法を教わったからか、少し余裕のある生活を満喫しているようだ。
兄との仲は、悪くはないが仲良しとも言い切れない。
彼が早々に一人暮らしを始めた時、春佳は十一歳だった。
年齢が七つ離れている事もあり、喧嘩はしないが、成長した今は兄というより他人のように感じる時もある。
加えて春佳は自分の気持ちを共有するのが苦手で、一人で抱え込んでしまう性格だ。
なので異性である事も相まって、何でも相談できる兄妹とは言えなかった。
だからなのか、久しぶりに兄と食事をしている今も、多少の気まずさがある。
「必要な事は俺がやるから、母さんを頼むな」
「うん」
食事を終えてコーヒーを飲んでいる時、兄とそう話した。
葬儀が終わったあと、兄と「なぜ父は自殺したか」という話はしなかった。
遺書もないのに決めつけられないし、死者の想いは本人にしか分からない。
亡くなった人の話をして父が蘇る訳ではないし、納得できる死に方だったならともかく、前触れのない自死だったので話題にすると気まずくなってしまう。
今は無理矢理でも食事をし、日常生活を送る事によって、思考停止してしまいそうになるのを必至に留めている。
父を見送る時に沢山泣いたが、いまだに家族が一人いなくなった実感がない。
なのに気がつけば時間だけが無情に過ぎている。
まるで時間がゴムのように伸び、ぼんやりとしている間に、動く歩道に乗って翌日になっている感覚だ。
「大学、行けるか?」
「……うん。お父さんが大学に入れてくれたんだし、ちゃんと卒業しないと」
「学費は心配ないから、しっかり勉強しとけ」
「うん」
「つらいけど、頑張っていこうな。どんだけしんどくても、前を向いて歩いていかないとならないんだ」
「そうだね」
空虚な思いを抱えているのも、悲しいのも、これからどうなるのか不安なのも、家族三人とも同じなのだ。
(自分だけつらいって思ったら駄目だ)
春佳は己に言い聞かせ、立ちあがると食器を流しに持っていった。
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