有罪愛
「追伸に書いてある連絡先だけ、コピーをあげるわ。父親と祖父母に会うかは、あなた達の判断に任せる」
そう言ったあと、涼子はコピーをテーブルの上に滑らせ、立ちあがった。
「遅い時間だし、そろそろ行きなさい。これから先、お見舞いには来なくていい」
そう言ったあと、涼子は「じゃあね」と面会室を出ていった。
二人はまだ感情の整理をつけられずにいる。
本来なら涼子は子供たちがどういう結論を出すのか待つべきかもしれないが、急ぐように面会室をあとにした。
それが自分たち兄妹と母の適切な距離に思えた。
恐らく母としても、いまだ夫の死を受け入れるのに精一杯なのだろう。
どんなに歪な関係だったとしても、母は父を愛していた。
そして父がすべてのしがらみから解放され、残ったのは戸籍上の妻である自分という事に、〝勝利〟を感じているのかもしれない。
けれど母が何を感じているかは、想像の域を超えない。
それに彼女にはもう、自分たち〝子供〟がどう感じているかを見守る義務はないと思っていい。
先ほど涼子は春佳に『自分を憎んでいたか』と聞かれて曖昧な返事をしたが、母としても娘に対する感情を簡潔な言葉で表現する事はできないのだろう。
そう思うと、これ以上母に聞き過ぎるのも良くない。
せっかく精神科に入院して落ち着きを取り戻したのに、質問攻めにしてまた不安定な状態に戻してしまえば意味がない。
母はもう、これ以上自分たちと関わらないという意思表情をしたし、自分たちも〝両親はいない〟と思って行動したほうがいいのだろう。
春佳はそのように理解しつつ、これからどうしたらいいのか分からず放心した。
冬夜も同じで、ぼんやりと目の前の空間を見つめている。
やがて面会室を覗き込んだ看護師がトントンとドアをノックする。
「……出るか」
「うん」
二人で面会室を出たあと、兄は看護師に頭を下げた。
「母をよろしくお願いします」
本当は血の繋がりがないと分かり、涼子を毛嫌いしていても、彼は〝母〟と言った。
春佳はその言葉に勇気をもらい、看護師に深く頭を下げた。
「どうか母を宜しくお願いいたします」
挨拶を終えた二人はエレベーターで一階に下り、夜間用の出口から外に出て、無言で駐車場に向かい車に乗った。
冬夜は何も言わずエンジンをかけて車を発進させ、ボソッと言った。
「ちょっと、遠くに行っていいか?」
「……うん」
ハンドルを握った冬夜は、そのまま南に向かった。
「……言われたくない事かもしれないけど、……お父さんがお兄ちゃんにしていた事を聞いて、『なんて酷い事をしたんだろう』って思った」
考えが纏まっていないものの、春佳は思考を整理しながら言葉を紡いでいく。
その事について言うと、冬夜が纏う空気が硬くなったのが分かった。
「……お兄ちゃんから見れば、お父さんは殺したいほど憎い人だった。……その気持ちはとても理解できる。私だってもしもお父さんに同じ事をされていたら、トラウマを抱えてうまく生きられなかったと思うし」
冬夜は何も答えない。
「……でも、お父さんの視点、お母さんの視点を知って、二人とも被害者なんだと思った。お父さんは優那さんに出会わなければ、もっと別の人生を歩んでいたかもしれない。もっと言えば、お祖父ちゃんとお祖母ちゃんと向き合えていれば、生き方が違ったと思う。そうしたら、もしかしたらお父さんはお母さんの気持ちに応えたかもしれないし、すべて違う結末になったかもしれない」
懸命に言ったが、冬夜がボソッと呟く。
「どれだけ〝もしも〟の話をしても現実は変わらない」
春佳はそれを聞き、決まり悪く黙ったあと、ポツリと呟いて言い返す。
「……でも、みんなそれぞれの真実があるんだよ。お兄ちゃんの気持ちは分かる。『分かる』なんて凡庸な言葉を言ったら失礼なぐらい、酷い事をされたのは理解してる。でも……」
「春佳!」
突如として冬夜が声を荒げ、バンッとハンドルを叩く。
肩を跳ねさせて口を噤んだ春佳は、目を見開いて前を向いたまま固まった。
しばらく、気まずい沈黙と車の走行音だけが車内に響く。
やがて冬夜は大きな溜め息をつき、絞り出すように言った。
「……俺はお前が好きだった。妹だと思っていたから、お前を困らせないようにしていたけれど、抑圧された気持ちを晴らすためにも、ひたすらに守り可愛がっても許される春佳が何より大切だった。それが愛なのか、ハッキリと説明する事はできない」
春佳は兄の苦しげな告白を黙って聞く。
そう言ったあと、涼子はコピーをテーブルの上に滑らせ、立ちあがった。
「遅い時間だし、そろそろ行きなさい。これから先、お見舞いには来なくていい」
そう言ったあと、涼子は「じゃあね」と面会室を出ていった。
二人はまだ感情の整理をつけられずにいる。
本来なら涼子は子供たちがどういう結論を出すのか待つべきかもしれないが、急ぐように面会室をあとにした。
それが自分たち兄妹と母の適切な距離に思えた。
恐らく母としても、いまだ夫の死を受け入れるのに精一杯なのだろう。
どんなに歪な関係だったとしても、母は父を愛していた。
そして父がすべてのしがらみから解放され、残ったのは戸籍上の妻である自分という事に、〝勝利〟を感じているのかもしれない。
けれど母が何を感じているかは、想像の域を超えない。
それに彼女にはもう、自分たち〝子供〟がどう感じているかを見守る義務はないと思っていい。
先ほど涼子は春佳に『自分を憎んでいたか』と聞かれて曖昧な返事をしたが、母としても娘に対する感情を簡潔な言葉で表現する事はできないのだろう。
そう思うと、これ以上母に聞き過ぎるのも良くない。
せっかく精神科に入院して落ち着きを取り戻したのに、質問攻めにしてまた不安定な状態に戻してしまえば意味がない。
母はもう、これ以上自分たちと関わらないという意思表情をしたし、自分たちも〝両親はいない〟と思って行動したほうがいいのだろう。
春佳はそのように理解しつつ、これからどうしたらいいのか分からず放心した。
冬夜も同じで、ぼんやりと目の前の空間を見つめている。
やがて面会室を覗き込んだ看護師がトントンとドアをノックする。
「……出るか」
「うん」
二人で面会室を出たあと、兄は看護師に頭を下げた。
「母をよろしくお願いします」
本当は血の繋がりがないと分かり、涼子を毛嫌いしていても、彼は〝母〟と言った。
春佳はその言葉に勇気をもらい、看護師に深く頭を下げた。
「どうか母を宜しくお願いいたします」
挨拶を終えた二人はエレベーターで一階に下り、夜間用の出口から外に出て、無言で駐車場に向かい車に乗った。
冬夜は何も言わずエンジンをかけて車を発進させ、ボソッと言った。
「ちょっと、遠くに行っていいか?」
「……うん」
ハンドルを握った冬夜は、そのまま南に向かった。
「……言われたくない事かもしれないけど、……お父さんがお兄ちゃんにしていた事を聞いて、『なんて酷い事をしたんだろう』って思った」
考えが纏まっていないものの、春佳は思考を整理しながら言葉を紡いでいく。
その事について言うと、冬夜が纏う空気が硬くなったのが分かった。
「……お兄ちゃんから見れば、お父さんは殺したいほど憎い人だった。……その気持ちはとても理解できる。私だってもしもお父さんに同じ事をされていたら、トラウマを抱えてうまく生きられなかったと思うし」
冬夜は何も答えない。
「……でも、お父さんの視点、お母さんの視点を知って、二人とも被害者なんだと思った。お父さんは優那さんに出会わなければ、もっと別の人生を歩んでいたかもしれない。もっと言えば、お祖父ちゃんとお祖母ちゃんと向き合えていれば、生き方が違ったと思う。そうしたら、もしかしたらお父さんはお母さんの気持ちに応えたかもしれないし、すべて違う結末になったかもしれない」
懸命に言ったが、冬夜がボソッと呟く。
「どれだけ〝もしも〟の話をしても現実は変わらない」
春佳はそれを聞き、決まり悪く黙ったあと、ポツリと呟いて言い返す。
「……でも、みんなそれぞれの真実があるんだよ。お兄ちゃんの気持ちは分かる。『分かる』なんて凡庸な言葉を言ったら失礼なぐらい、酷い事をされたのは理解してる。でも……」
「春佳!」
突如として冬夜が声を荒げ、バンッとハンドルを叩く。
肩を跳ねさせて口を噤んだ春佳は、目を見開いて前を向いたまま固まった。
しばらく、気まずい沈黙と車の走行音だけが車内に響く。
やがて冬夜は大きな溜め息をつき、絞り出すように言った。
「……俺はお前が好きだった。妹だと思っていたから、お前を困らせないようにしていたけれど、抑圧された気持ちを晴らすためにも、ひたすらに守り可愛がっても許される春佳が何より大切だった。それが愛なのか、ハッキリと説明する事はできない」
春佳は兄の苦しげな告白を黙って聞く。