有罪愛
 喉が裂けんばかりの絶叫を聞いた春佳は、ぞわりと鳥肌を立てる。

 波の音に紛れ、冬夜は何度も、何度も叫んだ。

「くそったれが!! 死ね!! 死んじまえ!! ああああああぁあああああぁっ!!」

 冬夜が誰に向けて、何に向けて「死ね」と言っているのか分からない。

 庸一はもうこの世の人ではない。

 涼子も、もう自分たち兄妹には関わらないだろう。

 もう何にも囚われず自由に生きていけるはずなのに、いまだ二人には運命の鎖が何重にも巻き付いていた。

 冬夜は細身の体をくの字に曲げ、全身全霊で、何もかもを振り絞って叫び続ける。

 まるで叫ぶ事で、自分を構成していたものを絞り出そうとしているようだった。

 魂の叫びを耳にした春佳は、いつの間にか涙を流していた。

 そして心の奥底で震えるものを解放すべく、自分も叫ぶ。

「…………ぁ、……あ、あ……っ、……っ、わあああああぁあああぁあああぁあっ!!」

 大きい声を出す事に慣れていない春佳の声は、か細く震えて波音にかき消えた。

 ――違う。

 ――駄目だ。もっと大きい声。

 ――それでないと、伝わらない。

 自分たちが味わった絶望と悲しみ、怒りは、こんなものでは収まらない。

〝犯人〟と呼べる者に何もできなくなった今、自分たちはただ叫ぶ事しかできないのだ。

「っあああああぁあああぁあああぁああっ!!」

 金切り声を上げると、自分に物を投げつけて叫んでいた母を思い出す。

 ――あの女性(ひと)は……、可哀想な人だった。

 そう思うと、また新たな涙が流れてくる。

「ああああぁああああぁあっ!! ああぁあああああぁあああぁあああっ!!」

 何度も、何度も、叫ぶ。

 そうだ。自分は叫びたかった。

 涼子につらく当たられた時、但馬を失って悲しかった時、多田に性欲を向けられた時、岩淵にのし掛かられ、頬を叩かれ、服を剥ぎ取られた時。

 父が自殺したと聞かされた時、自分がレイプの果てにできた子だと知った時、冬夜が小村と付き合っていると思い込んだ時。

 悲しかったし、つらかったし、怒りたかったし、言い返したかった。

 みんな、理由なく春佳を翻弄した。どうして」と強い疑問を抱いても、誰も満足な答えを聞かせてくれず、暴力で、一方的な感情で、あるいは無視する事で春佳を否定した。

 その怒りを、悲しみを、すべて込めて叫んだ。







 永遠に叫び続けていたように思えたが、実際は数分の出来事だったかもしれない。

 二人はハァハァと息を切らせ、痛くなった喉を押さえてときおり咳き込む。

 黒い海は、兄妹の怒りを叩きつけられてもなお、まったく変わる事なく轟き、うなっていた。

 しばらく、二人は息が整うまで黙って立っていた。

 体は冷え切り、指先はかじかみ、喉はヒリヒリしている。

(このまま、ズタズタになるまで自分を痛めつけて、この世からいなくなってしまってもいいのかもしれない)

 ――お兄ちゃんが一緒なら。

 思いきり叫び続けたあと、まるで自分が空っぽになったように感じられた。

 禊は済み〝(エンプティ)〟になった自分なら何でもできる気がした。

 ビュウビュウと吹きすさぶ潮風になぶられていると、ネオンが光る騒がしい都心にいたのが嘘のように思える。

 ――私たち、人知れずここで終わるのかもしれない。

 そう思いながら立ち尽くしていると、冬夜がそっと手を握ってきた。

「……なぁ、春佳」

 兄に話しかけられ、春佳は穏やかな顔で大好きな男性(ひと)を見た。

「このまま、二人で死ぬか」

 彼はまるで、「散歩にでも行くか」というような気軽な声で心中に誘う。

 返事を考えている間、ザァァァン……、ザァァァン……、と、潮騒が鳴り、鼓膜に刻みつけられる。

 強い潮風が髪をなぶるさまは、まるで運命に翻弄される自分たちのようだ。

(……そうだね。もう終わらせてもいいのかもしれない)

 心の中で返事をした春佳は、暗闇の中で小さく微笑んだ。

 暗くて冬夜の顔はよく見えないが、彼も笑っているように見える。

 ――うん。お兄ちゃんと一緒なら。

 頷いた春佳は、とても穏やかな気持ちで返事をした。

「いいよ」







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